|
呉市安浦町中央にあるJR安浦駅舎前に建立されている「(北朝鮮)帰国記念植樹」碑です。
※ ※960(昭和35)年11月20日北朝鮮帰国記念樹碑建立。 |
正面: |
長い間御世話になりました
歸國記念植樹
一九六〇年十一月二〇日
朝鮮民主主義人民共和國
在日朝鮮人安浦歸國團■■ |
1960年=昭和35年
北朝鮮とはいまだ国交関係がない。
韓国とは1965年6月(通称)日韓基本条約。
中国とは1972年9月国交正常化。 |
|
在日朝鮮人の帰還事業は、1959(昭和34)年12月14日第1次帰国船新潟港出港)から1984(昭和59)年にかけて行なわれた在日朝鮮人とその家族による日本から朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への集団的な永住帰国あるいは移住したことです。
93,340人が北朝鮮へと渡り、そのうち少なくとも6,839人は日本人妻や子といった日本国籍保持者だったそうです。 |
|
ここ安浦駅舎を撮影しているとき、駅舎前に設置の小さな石柱に目が留まり撮影しました。
刻まれた文字から北朝鮮帰国事業で北朝鮮に帰国した在日朝鮮人の方々が建立したことがわかりました。石柱の根際の松が記念樹として植樹されたのでしょう。560年弱の間松の選定がなされてきた松をみた時、横田めぐみさんたちの日本から拉致された方々の帰国がいまだ未解決のままの状況に思いを馳せました。 |
※ |
2002年平和記念公園に建立されている「朝鮮民主主義人民共和国帰国記念時計」を撮影して頁を編集したので、北朝鮮への帰国事業について(言葉は知っていましたが)1959(昭和34)年8月13日に赤十字社と北朝鮮の赤十字会との間で結ばれ、帰還に関する協定が結ばれたことで、帰国事業がはじまったことを知りました。
(ので、ここ安浦からも帰国した人たちがいたのだと知りこの頁を編集しました。) |
|
15.07.01.裕・記編集 |