れいせきだん
霊迹壇

  中区上幟町の縮景園園内に建立されている「霊迹壇(十王堂)」です。
堂内に安置されている像は、五官王ではないかと教わりましたが、確かなことは(わたしには)わかりません。
江戸時代の前期(西暦1600年代)に神田川(現在は京橋川と呼ばれています)の大洪水で三体の佛像が園内に漂着したのを、堂を建立して祀っていたものです。
仮設の堂内はその一体で平安時代後期頃(西暦1100年代)の作と思われる寄木造りの十王像です。他の二体は原爆で焼失しましたが、現存のこの像は損傷したのみで奇跡的に残りました。
十王とは、秦広王(しんこうおう)、初江王(しょこうおう)、 宋帝王(そうていおう)、五官王(ごかんおう)、閻魔王(えんまおう)、変成王(へんじょうおう)、泰山王(たいざんおう)、平等王(びょうどうおう) 、都市王(としおう)のことです。
いつも思うことなのですが、信教の自由とは宗教を排除する考えではないとわたしは思うのです。
管理を広島県が行っていると云って、宗教施設を排除するのではなく、この霊迹壇のように大切に次の世代に伝えることが必要ではないかと思うのです。ましてや、被爆の惨禍を体験した像なのですから。
この頁を編集してから7年も経つ今(2009年)頃になって霊迹とはどういう意味だろうと思ったのです。
漢和辞典を引いてみました。説明板にあるような三体の仏像が漂着したという不思議なことがあった事から名付けたことがわかりました。
(れいせき)
霊迹(霊跡):
1.神仏に関する古跡。
2.ふしぎなことが起こったところ。
(だん)
壇:
1.祭壇。土を小高く盛りあげた祭場。
2.一段と高くした場所「演壇」。
3.平地よりもやや小高く、上が平らな所。
縮景園ボランティアガイドの方の話では、五官王ではないかと思われるが正確にはわかっていませんという事でした。
2018年久しぶりに訪ねたのですが、いたずら防止という事で鍵がかかっていました。一昔前までは自由に拝見できたのですが、寂しいものですね。
18.06.09.更新   02.04.03裕・編集

02.03.30撮影

02.03.30撮影
広島市中区上幟町2‐11   縮景園  

08.05.05撮影
縮景園北東側・京橋川に近い処(新しい説明板いなっています)

08.05.05撮影
この被爆した像は何王?かいまのわたしにはわかりませんが「五官王」?
 

18.03.27.撮影
久しぶりに一目お会いしようと思いましたが鍵がかかっていました

18.03.27.撮影
説明板が、横書き+英語付になっていました



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