被爆した市内電車:650形

  1945(昭和20)年8月6日米軍投下の原子爆弾で被爆した電車を被爆電車と呼んでいます。
その中で、現在も営業運転している広島電鉄650形電車をこの頁では取り上げています。



























































































































使






 



西


































































































































報道で2006年6月25日2両(653、654)がダイヤ改正を機に引退したことを知りました。
広島市の「戦後の復興を見守ってきた車両を保存したい」という要請で、1両(654:1942年製)は広島市交通科学館に寄贈されることになったそうです。
通勤で広島駅前から宇品線に乗っていたわたしは、被爆した市内電車には何度も乗ってはいたのです。
運転席の後ろに貼り出された六五〇形電車の由来という貼り紙も目を通した事も何度かありましたがその写真を撮ることはなかったのです。
今(2006年7月)回は朝の通勤時宇品線を走っているというところを撮影することはあきらめて、千田車庫に行って撮影しました。
読んだ由来の文章は以前読んだ文章よりもより具体的に記述されているように思いましたが。
2006(平成18)年7月の交流ウォーク時千田車庫に立ち寄りました。そのとき651号を見かけましたので撮影しました。
2007年8月に651号、652号に乗り撮影出来ましたので(新)由来記を掲載しました。653号のは(旧)由来記です。
07.08.19追記   06.07.17裕・記編集

06.07.15.撮影
広島市中区東千田町2-9-29 千田町車庫にて

06.07.15.撮影
651は被爆当時中電前(現在の市役所前)附近(爆心地から≒700m)で被爆、半焼:1946年3月復旧

06.06.06.撮影
652、653と並んで車庫入りでした

06.06.06.撮影
652は被爆当時宇品付近を走行小破:1945年8月復旧

06.06.06.撮影
653は被爆時江波付近を走行大破:1945年12月復旧

06.06.06.撮影

07.08.04撮影
650形電車の由来
(651号)
  この651号電車は、昭和20(1945)年8月6日午前8時15分、市役所付近を運行中に、人類史上初の原子爆弾により被爆しました。
焦土と化した広島に電車を走らせようと、人手や復旧資材の乏しい中、懸命の作業により、3日後には僅かに残った車両を使い、一部区間(己斐-西天満間)で運行を再開した。
この651号は被害が大きかったので、復旧は翌(1946)年3月になりましたが、復興に努める広島市民の重要な足となり、活躍しました。
なお、被爆した電車のうち650形の2両のみが、現在も元気に走り続けています。
広島電鉄株式會社

07.08.17撮影
650形電車の由来
(652号)
  この652号電車は、昭和20(1945)年8月6日午前8時15分、宇品付近を運行中に、人類史上初の原子爆弾により被爆しました。
焦土と化した広島に電車を走らせようと、人手や復旧資材の乏しい中、懸命の作業により、3日後には僅かに残った車両を使い、一部区間(己斐-西天満間)で運行を再開した。
この652号は幸い被害も小さく8月中に復旧し、再び走り始めた姿は、壊滅的打撃を受けた広島市民に大きな勇気を与えました。
なお、被爆した電車のうち650形の2両のみが、現在も元気に走り続けています。
広島電鉄株式會社



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