(被爆した建物)広島電鉄千田町変電所・資材倉庫

  中区千田町にある「(現在)広島電鉄(株)千田町変電所・事務所」です。
※1945(昭和20)年8月6日被爆当時は“広島電鉄(株)千田町変電所・資材倉庫”でした
1912(大正元)年11月広島電気軌道火力発電所としてボイラー棟と発電棟の2棟のレンガ造り、平屋建、地階1階の建物、そして大きな煙突一基を持つものとして竣工しました 。
1934(昭和9)年発電所は老朽化、能力低下で廃止され千田町変電所となりました(電力は広島電気から供給)。
1945(昭和20)年8月6日原爆によって爆心地側(北側)の旧発電棟の屋根が半分剥ぎ取られたりしましたが、倒壊を免れ、被爆当日午後から復旧にかかり8月9日には最初の電車が動き出したそうです。
爆心地から≒1,920m    被爆した当時町名は千田町3丁目
1958(昭和33)年旧発電棟のレンガ壁の補強と変形した小屋組の改修工事が施されました。 
この工事で外壁の上半分の立面が変わりレンガ壁にはベンガラを塗られた(現在は防水塗料が塗られ白色をしています)。
南側の旧ボイラー棟は(発電棟の陰になるような位置関係で)比較的損傷が少なかったので竣工当時の面影がよく保存されているそうです。
以前から被爆した建物であることは知っていましたが、被爆した電車を撮影に行ったとき以前の車庫の敷地が一部一般駐車場に変わり撮影もやりやすくなっていましたので撮影しました。
また、2006年7月交流ウォークのときに事務所の中からいまも残されている鉄骨・小屋組みもみる事ができました。
06.07.19.裕・記編集

06.06.06.撮影
広島市中区東千田町2-9-29  広島電鉄(株)千田町変電所・事務所 

06.06.06.撮影
旧発電棟と旧ボイラー棟

06.06.06.撮影

06.06.06.撮影
竣工当時の面影が現在も残るといわれているボイラー棟、北立面(爆心地から逆側)をみました

06.07.15.撮影
西側よりみる
竣工当時はこちら側に高い煙突があり、竹屋川(現在埋立てられた)があり燃料の石炭が船で搬入されたそうです

06.07.15.撮影
現在事務所になっている天井をくり抜いて(旧ボイラー棟の)小屋組みが見られるようになっています



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