広島ぶらり散歩「八木用水」編・一覧

  定用水(常用水とも書き、戦後、八木用水と呼ばれるようになりました)は、太田川が流れる安芸国沼田郡八木村(現在・安佐南区八木)から、緑井村、中須村、古市村、西原村、長束村、新庄村(現在・西区新庄)、楠木村、打越村の九ヶ村の水田を湿し、その水路は10数Km(定用水碑では四里ほどと記述しています)にも及び、それらの村々(を含め17ヶ忖)の水田を湿していました。
定用水は、明和4(1767)年沼田郡南下安村の卯之助が、八木村の十歩一からの取水を思い立ち、灌漑地域となる村々の土地の高低や、既存の水路などを検討して、明和5(1768)年4月4日着工、幅2m、長さ16 km、九ヶ村にわたる水田230町歩(約230ヘクタール)への水路として、4月28日に完成させました。
現在それらの地域は都市化して、水路の存在すら忘れられがちですが、市街のあちこちに、240有余年前から流れを止めることのない用水路です。
安佐南区祇園2丁目の勝想寺・墓地に建立されている(桑原)卯之助のお墓を訪ねた事で、(わたしは)八木用水に興味をもったのです。広島藩・浅野第七代重晟(在任:1763-1799)の時代から多くの人々の多くの努力によって今日まで豊かな流れを保ち続けているからです。
こんにち八木用水流域では都市化が進み開削当初の主目的であった農業用水を供給する事は少なくなりつつありますが、広島の土木工作物の歴史的、文化的遺産ではと思うのです。
わたしは、現在の八木用水を6回に分けて(上流から下流へなどという順番にではなく、バラバラに区間を決めて)全線みながら歩いてみましたが、この頁を編集する上では、上流から下流へと繋がるように編集しました。

広島市設置の説明板地図を使用
農業用水を供給するという主目的で開削された「定用水」、いまや上流部などを除けば市街地を流れる「八木用水」へと変貌してきていることは間違いないところでしょう。「八木用水」が人口減に入った日本の未来像と重ねあわせながら‘宝の持ち腐れ’とならないようにと思い、用水の維持管理費負担などの問題で(道路にするために暗渠になった部分もありましたが)暗渠としてしまえなどという暴論にならない事を願いながら、八木用水をみていましたが、その未来像を描けるほどの智恵はない情けないわたしということで、(まだまだ考えていこうと思いながら)この頁の一応のまとめとしました。
2014年8月19日深夜から20日未明にかけて局地的な豪雨で、安佐南区八木地区・緑井地区でも複数の土砂崩れが起き多くの方々(9月19日74名と考えられる最後のご遺体が収容されました)を飲み込んでしまいました。
同じ広島市内でも(指をくわえて)TVをみるだけのわたしですが、映し出される画像で、八木地区緑井地区の八木用水は土砂が流れ込み用水である事さえ分からないような事態になっています。

亡くなられた方々のご冥福を祈り、被災された方々の再建を願うばかりです。わずかな義援金でしかお役に立てていませんが、ここで取り上げた八木用水の復旧も願って追記しました。
国土交通省の公開資料(2014年9月)で、
八木用水に流れ込んだ土砂撤去を8月25日から実施し、9月3日に通水機能が確保された事を(わたしは)知りました。
土砂撤去作業の主体は行政機関によるものでしょうが、地域住民の方々、各地からのボランティアの方々の協力があったからの土砂撤去だったのだろうと(わたしは思い)報道をみていましたので、追記しました。
中國新聞報道(2015年10月28日)によると、
太田川発電所の運転再開をしたので、八木用水へも水の供給を再開した。
土砂災害後の(2014年)12月に、太田川から直接取水する(鳴での取水)ルートで八木用水への供給を行っていたそうで、それをもとのように切替えたそうです。
2015年10月30日細野神社を訪ねましたので、付近の八木用水もみました。
太田川発電所上にある水をためるプールが土砂で埋まりその撤去作業は完了し、太田川発電所から八木用水への供給を再開しており、発電所下の鳴からのルートの水門は閉まっていました。
報道で、発電の再開は知っていましたが、発電所周辺の復旧工事はまだまだ時間がかかるように思いました。
広島土砂災害で流出していた「定用水碑」の復旧情事が行われ元のように戻ったことを知りましたので、2017年3月撮影し、(別頁で)編集しました。 
17.04.16.更新   10.08.26再編集   08.11.21裕・記編集

10.02.19撮影

08.10.04撮影

10.12.04撮影

10.12.04撮影

10.12.04撮影
(八木町・細野神社前)
定用水碑
(祇園2・勝想寺)
桑原卯之助の墓
(広島市郷土資料館)
八木用水コーナー
(広島市郷土資料館)
展示資料:八木用水工事絵
(広島市郷土資料館)
八木用水年表
 10.03.13編集 10.02.16更新 11.01.31編集 11.01.31編集 10.01.30編集

08.12.29撮影

10.09.09撮影

10.09.16撮影
(八木3・梅林小附近)
八木用水・説明板
(古市1・古市小附近)
八木用水・説明板
(西原6・原小附近)
八木用水・説明板
15.11.14.更新  10.10.05編集 10.10.31編集

15.10.30.撮影

15.10.30.撮影

15.10.30.撮影

15.10.30.撮影
(八木町)
広島土砂災害後
太田川発電所
(八木町)
広島土砂災害後
発電所下の水門・八木用水はじまり付近
(八木三丁目)
広島土砂災害後
梅林小学校付近
16.01.19.編集  16.01.20.編集 16.01.21.編集

15.10.30.撮影

17.03.08.撮影
広島土砂災害で流出
(無くなった)定用水碑
復旧工事が行われ
(再設置後)定用水碑
- 17.04.16.編集

10.10.06撮影

10.10.06撮影

10.10.06撮影

10.10.06撮影

10.10.06撮影
(八木町)
鳴の取水口での採水
(八木町)
鳴の取水口水門附近
(八木町)
八木渡場〜鳴の取水口附近
(八木町)
太田川発電所下〜八木町渡場
(八木町)
太田川発電所下の水門
10.11.01編集 10.11.02編集 10.11.03編集 10.11.07編集 10.11.05編集

10.02.19撮影

10.02.19撮影

10.10.06撮影
 

10.10.28撮影
 
(八木町)
太田川発電所
(八木町)
(現在の)八木用水はじまり
(八木8)
上八木駅附近〜太田川発電所
 
 (八木7)
上八木駅附近〜八木隧道入口
10.03.18編集 10.03.18編集 10.11.07編集 10.11.08編集

10.02.19撮影

08.12.29撮影

10.10.28撮影

10.10.28撮影

10.09.09撮影
(八木9)
八木隧道(入口)
(八木5)
八木隧道(出口)
(八木3)
八木隧道出口〜梅林小附近
(緑井8)
梅林小附近〜宇那木神社附近
(緑井7)
宇那木神社前〜専蔵坊参道前
10.03.20編集 10.03.20更新 10.10.07編集 10.11.10編集 10.09.26編集

10.09.09撮影

10.09.09撮影

10.09.16撮影

10.03.26撮影

10.03.26撮影
(緑井4)
専蔵坊参道前〜JR緑井駅筋
(緑井2)
緑井駅筋〜山陽自動車道高架下
(中須2)
自動車道下〜安川交差部上流
(中須2)
安川交差部上流側
(中須1)
安川交差部下流側
10.09.26編集 10.09.26編集 10.09.26編集 10.08.27.編集 10.08.28.編集

10.09.09撮影

10.09.09撮影

10.08.28撮影

10.09.16撮影

10.09.16撮影
(中須1)
安川交差部下流〜国道183号
(古市2)
国道183号〜古市小学校附近
(古市1)
古市小学〜安佐南区役所附近
(古市1)
安佐南区役所附近〜西原9境
(西原9)
西原9丁目の区間
10.10.26編集 10.10.04編集 10.10.07編集 10.10.09編集 10.10.07編集

10.09.16撮影

10.09.16撮影

10.09.29撮影

10.09.29撮影

10.09.29撮影
(西原8)
西原8丁目の区間
(西原6)
西原6丁目の区間
(西原4)
西原4丁
(西原4)
(残されている)クスノキ
(西原2)
西原2丁目〜長束1丁目東西分岐
10.10.11編集 10.10.13編集 .10.14編集 10.10.15編集 10.10.07編集

10.04.25撮影

10.04.25撮影

10.04.25撮影

10.04.25撮影

10.04.25撮影
(長束1)
東西分岐〜東側終点手前
(長束1)
用水水路東側終点
(長束1)
東西分岐〜183号線
(長束2)<
183号線〜西側終点手前
(長束2)
用水水路西側終点
10.08.29編集 10.08.26編集 10.05.26編集 10.09.01編集 10.09.02編集



「八木用水関連」編


「水関連」編



広島ぶらり散歩へ
「水関連その他」編
 「マンホール蓋」編
 「手押しポンプ」編
  「八木用水関連」編


inserted by FC2 system