(広島) エドマンド・ブランデン詩碑
  中区基町の中央図書館北側緑地帯に建立されている「エドマンド・ブランデン詩碑」です。
エドマンド・ブランデンは、1948(昭和23)年冬この地(広島)を訪れ その感動を表記の詩一篇に結晶させました。
ここに碑を建てて詩を刻み詩人の広島へ寄せた友情と 人類にかかわるふかい思いを 市民とともに永久に記念するものです。
 1975(昭和50)年8月3日   エドマンド・ブランデン詩碑建設委員会
エドマンド・(チャールズ)・ブランデン (Edmund Charles Blund:1896−1974)
英国の詩人。ロンドン生まれ。第一次世界大戦に従軍。戦後オックスフォード大学ザ・クイーンズ・カレッジに復学したが中退。
1922年ホーソーンデン賞受賞。1924(大正13)年から3年間、東京帝国大学に英文学の教師として赴任。1931年〜1944年オックスフォード大学マートン・カレッジ研究員就任。
戦後1947(昭和22)年〜1950(昭和25)年英国政府の文化使節として再び来日。1948(昭和23)年冬、広島を訪れ、「HIROSHIMA ―1949年8月6日によせて―」という詩を残しました。1967年〜1968年香港で英文学を講じる、その後オックスフォードに戻り詩学教授を務めました。
2004年交流ウォーク参加者の中にここで取り上げた「エドマンド・ブランデン詩碑」は確か圓鍔勝三作品ですよといわれる方がおられ立ち寄ったのです。
エドマンド・ブランデンのことも知らなかったし、刻まれている文章(詩)を読むこともできなくて、後日再度訪れ、圓鍔勝三のサインを確認し追加撮影しました。
2004年この頁を編集した時は、(詩人)エドマンド・ブランデン詩碑に焦点を当てることよりも(文化勲章受章者・彫刻家)圓鍔勝三作に焦点を当てたような編集になっていました。
2012年4月になって、中國新聞文化部N記者にこの碑のブランデンレリーフが圓鍔勝三作で、碑全体のデザインは鈴木たかしだったことを教えていただいたので、碑の周りの状況もわかる画像を撮影しようと行ったのですが、碑の位置が(2004年当時と)移設され変っていました。
この際、この頁は「文学碑」に焦点を当てた頁に更新し、“彫刻作品”に焦点を当てた別頁を編集することにしました。
 13.06.19.追記    04.06.16裕・記編集

12.04.13.撮影
広島市中区基町3  中央図書館北側緑地帯(平和の森)

04.07.01撮影
「HIROSHIMA」(ヒロシマ) 
1949年8月6日によせて
エドマンド・ブランデン
かの永劫の夜をしのぎ
はやもいきづくまちびとの
うちひしがれて うつつとも
夢ともわかね ひとことの
うらみさてしも 颯爽と
立ちあがりたる心意気
とわに亡びし もののあと
たちまち動く 力あり
劫火の灰を かきわけて
ねがひ さやかにあれいでぬ
身をおこしたる このまちは
明日をめざしてひとすじに
ヒロシマよりも 誇らしき
名をもつまちは 世にあらず
君は平和の 鳩のやど
をちこちびとは ここに来て
よみがへりたる 人類の
かがやく姿 見るらむか
友・寿岳文章 
(じゅがくぶんしょう)  

04.05.15撮影
敬称は略しました



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