えんりゅうじ
圓隆寺 (円隆寺)
  中区三川町に創建されている「福昌山慈善院(ふくしょうざん じぜんいん)圓隆寺」です。
知新集によると
(福昌山慈善院)圓隆寺は沼田郡廣島中通竹屋町にあり法華宗一致派京妙覺寺末寺で、開山日音開基の年月詳らかではないが、この日音後に國前寺十七世にあたる。
元和5(1619)年旧記には新町南の末圓龍寺とありその頃には竹屋町はなかったので
新町南の末と記しているのでしょう。かつ元和6(1620)年年頭御禮帖にも寺名が出ているので、(浅野氏の)入國より前の寺と思えます。
昔は山号・寺号のみで院号はなく、寛永7(1630)年より住眞院と唱えている記録があり後に開山・日音の院号に変えて慈善院となっています。』
とあります。
福昌山慈善院 圓隆寺は日蓮宗のお寺で『法華経』が所依の経典です。 法華経の守護神で稲荷(いなり)とよまず、音読みで「とうか」とよんだのが名の由来といわれています
広島に初夏の訪れを告げるお祭り「とうかさん」大祭(別名「ゆかたの着始め祭り」)は現在は毎年六月の第一金曜から三日間くり広げられます。「とうかさん」とは圓隆寺の境内に祀られる稲荷大明神(とうかだいみょうじん)のことです。
1945(昭和20)年8月6日(月)原爆により本堂など全てを焼失したそうです。
爆心地より≒920m 
(被爆当時町名も三川町)
2004年交流ウォークので立寄りましたので撮影してこの頁を編集しました。
2012年お寺の縁起を、いままで1619(元和5)年、浅野長晟が紀州から安芸の国主として広島城へ入封の際、現在地に 圓隆寺を建立しましたとしていましたが、知新集をみて訂正しました。
2015年久しぶりにお参りしましたので、境内を撮影しました。この頁を再編集しました。
15.04.12.再編集    12.01.09訂正   04.06.13裕・編集

04.06.12.撮影
広島市中区三川町8-12

05.06.03.撮影
三百八十余年の歴史を誇るとうかさんの夏祭り、

05.06.03.撮影

05.06.03.撮影
浴衣に赤い鼻緒の下駄がよく似合う異国のお嬢さんが

15.04.09.撮影
境内

08.03.31.撮影

07.05.20.撮影
「とうか大明神」御神体は法華経の守護神で、稲荷と唱えず、御読みで“とうか”と呼びます

04.06.12.撮影

04.06.12.撮影
圓隆寺の外側 「とうか山」の山号石

04.06.12.撮影

08.03.31.撮影
子まもり地蔵尊 と 原惣右衛門夫婦の墓 本堂裏の墓苑には被爆したお墓などが供養されています

04.06.12.撮影
(そとば)
卒塔婆:
供養・追善のため、墓などに立てる細長い板。塔の形の切り込みがつけられ、梵字・経文・戒名などが記されている。板塔婆。塔婆。そとうば。
(しょうつきめいにち)
祥月命日:
人の死後一周忌以降の、故人の死んだ月日と同じ月日。正忌(しょうき)。



「広島の神社仏閣」編



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圓隆寺(概説)
(境内の)三川町町民慰霊碑
(境内の)被爆した墓石など
(境内の)原惣右衛門夫婦の墓


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