(圓隆寺)原惣右衛門夫婦の墓

  中区三川町の円隆寺に建立されている「原惣右衛門夫婦のお墓」です。
いままで圓隆寺に、なぜ原惣右衛門(1647-1703)のお墓があるのかわからなかったのです。
2007年交流ウォークの時、お寺設置の説明版を読んだのですが、そのなぞが解けないぼんやりした解説のように思いました。
『当山には、忠臣蔵で有名な赤穂浪士の原惣右衛門が「とうかさん」を熱烈に信仰しておられた因縁で、夫婦の墓もある』と記述がありました。
1703(元禄16)年原惣右衛門切腹の折、3歳だった息子は、1725(享保8)年広島藩(浅野本家)に250石にて召抱えられたそうで、その縁で惣右衛門夫婦の供養墓が福昌山 圓隆寺建立されたとも伝えられています。
* 大石良雄三男・大三郎(1702-1770)が12歳で知行1500石奉行次席となったと伝えられてもいますので、惣右衛門の息子が召し抱えられたという話をまんざら伝説という事では無いようにも(わたしは)思っています。
原爆関連慰霊碑ということでこの円隆寺に子まもり地蔵尊が建立されていることは資料を見て知っていましたが、2004(平成16)年6月交流ウォークのときに原惣右衛門夫婦の墓を教えていただきましたが、赤穂義士・原惣右衛門のことをほとんど知らなかったのです。
11.08.30更新   04.06.13裕・記編集

05.06.03.撮影
広島市中区三川町8-12  円隆寺

08.03.31.撮影

04.06.12.撮影
原惣右衛門夫婦の墓

討ち入り元禄十五(1702)年12月14〜15日
切腹元禄十六(1703)2月4日  原惣右衛門享年56歳
享保十八(1733)癸丑歳七月上旬四日の字が読めるが・・

東京都港区高輪の泉岳寺に
他の赤穂浪士と共に墓があるのですが・・・

04.06.12.撮影
子まもり地蔵尊と原惣右衛門夫婦の墓



「赤穂義士関連」編


「広島ゆかりの人たちのお墓」編



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