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中区三川町の円隆寺に建立されている「三川町町民慰霊碑(子まもり地蔵尊)」です。 |
1945(昭和20)年8月6日(月)被爆当日、(竹屋国民学校の校舎が兵舎に転用されていたので、児童たちは地区内に分散して授業を受けていました)、円隆寺もその内の一つで、約25人の児童がいました。
被爆で円隆寺が倒壊しその下敷きとなり亡くなりました。
ご住職は、後に三川町地区町民、この地区での死没者および竹屋国民学校児童約25柱を供養するために、この地蔵尊を墓苑内に1949(昭和24)年秋に建立され、子まもり地蔵尊と名付けられたそうです。 |
円隆寺は原爆により本堂など全てを焼失したそうです。
爆心地より≒920m (被爆当時町名も三川町) |
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(当時の)ご住職は、8時15分原爆炸裂時は檀家の法事の為比治山墓地で読経中であったため直接的な難はまぬがれましたが、1951(昭和26)年原爆症で亡くなったそうです。 |
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資料をみて原爆慰霊碑の子まもり地蔵尊が建立されていることは知っていましたが、2004年交流ウォークで円隆寺を訪ねたときに(わたしは)はじめて拝見し、撮影してこの頁を編集しました。 |
2015年久しぶりに訪ねました。
以前見ていた墓苑入口の周りが整備され変っていて、この地蔵尊がおられませんでした。墓苑の中を拝見していると西側にお地蔵さまは引越されていました。
以前の画像も見直し、新しく引越された画像を加え、この頁を再編集しました。 |
15.04.11.再編集 04.06.13裕・記編集 |