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南区比治山町の多聞院墓苑に建立されている「頼家之墓々」です。 |
広島県史跡 頼(らい)家之墓 |
指定 昭和15(1940)年2月23日
所在地 広島市南区比治山町7-10 多聞院境内 |
頼家は竹原の出身で、江戸時代後期に『日本外史』を著した頼山陽をはじめ多くの学者が出た学問の家として有名であるとともに、代々広島の教育・文化の向上に大きな貢献をしました。
当墓所には、頼一族のうち、頼春水シュンスイ・梅〈風思〉バイシ(山陽の両親)、杏坪、聿庵イツアン、誠軒、古楳コバイ等、広島で活躍した人々の墓が大小30以上も整然と並んでいます。中でも春水、梅〈風思〉、聿庵、古楳の墓は、県内でも非常に珍しい円錐体に丸味を持たせたような形をしており、形態的な面でも貴重なものと言えるでしょう。
平成3(1991)年10月25日 広島県教育委員会 広島市教育委員会 |
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多聞院は真言宗のお寺です。2004年7月交流ウォークでみなさんと訪ねましたので、御住職に案内・説明していただきながら、頼家の墓所、寺宝の展示室を拝見しました。
2004年10月から2007年4月にかけて中国新聞に掲載された見延典子さんの新聞小説「頼山陽」を楽しみに読んでいたわたしは頼山陽の人間的魅力(のわずかでしょうが)感じることができたのです。
今(2008年)回改めて多聞院の、頼家のお墓を訪ねたのです。 |
☆頼山陽のお墓は、京都市東山区円山町の長楽寺に建立されています。 |
08.03.18更新 04.07.18裕・記編集 |
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08.03.03.撮影 |
広島市南区比治山町7-10 多聞院墓苑 |
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04.07.10.撮影 |
04.07.10.撮影 |
頼家一族のお墓 |
円錐形の墓石 |
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08.03.03.撮影 |
(頼山陽の実の子)聿庵、お父さんの春水、お母さんバイシ(梅バイ、PC変換でない風+思=シ)のお墓などが・・・ |
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04.07.10.撮影 |
御住職によるお寺の縁起などを聴く |
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