(山陽文徳殿前庭の)被爆樹木・ソメイヨシノ

  南区比治山町の(頼)山陽文徳殿前庭に1934(昭和9)年植樹されましたが、
                             1945(昭和20)年8月6日「被爆したソメイヨシノ」になりました。
※この頁では前庭の桜を取り上げています。もう1本は階段根際にあります。
(新しい)被爆樹木 ソメイヨシノ
A-bombed tree  Yoshino cherry (
Cerasus x yedoensis 'Somei-yoshino')
爆心地から1,800m
ここで被爆しました。幹は、爆心地方向にから向いています。
樹勢は芳しくありません。
被爆樹木 ソメイヨシノ
A-bombed tree  Japanese Frowering Cherry

爆心地から1,800m
Approx. 1800m from the hypocenter
このソメイヨシノは昭和20(1945)年8月6日原爆にも耐え生き残ったものです。
*「黄色の被爆樹木標識」でしたが、2015年5月から「白色の新しい標識(二次元コードあり)」が順次取り付けられています。
2004年ここ山陽文徳殿を交流ウォークの時訪ねて撮影していましたが、黄色の被爆樹木標識に(わたしは)気が付かなかったのです。
2005年市の資料で被爆したソメイヨシノであることを知り、11月に訪ね撮影しました。また、屋根の(水切りからの)錆が随分ひどくなったように思いました。そして被爆建物の説明板が新設されていました。
この時、建物を管理されているというご婦人の話を伺うことができ、桜が春になると元気に咲いていることを聞きましたので、桜が咲いたときに撮影しなくてはと思ったのです。
2006年4月6日広島地方桜の満開宣言がでた日に訪ねました。
(2005年11月に管理の方にお聞きしていたように桜は元気なようで満開でした。)
2007年4月4日にも見に行きました。前庭の桜は元気のようでした。帰り際もう1本階段の根際に(被爆したサクラが)あることがわかりましたので別頁で編集しました。
2015年9月比治山付近の原爆関連慰霊碑を訪ねた時、ここ山陽文徳殿も訪ね被爆した桜も見た(撮影はしなかった)のですが、前庭のソメイヨシノがすごく弱っているように見えました。また、階段根際の桜はと見ましたが無くなっていました。
2016年3月23日になりましたが市・平和推進課に尋ねると、階段横の桜は2013年5月枯死し撤去したということでした。また、2016年3月27日千田小学校であった被爆樹木樹勢回復措置作業の時に樹医の方にここ文徳殿前庭の桜について尋ねると、だいぶ弱っていると云われていましたので、見に行き撮影しようと思ったのです。
2016年3月27日階段を上って聞くと被爆ソメイヨシノが咲いていました。しかしいつまでこの光景をみることができるのだろうと思うほど2006年見た時の勢いはなく、細々と咲いていました。
樹勢回復措置がなされているように思いましたが、2016年の寂しい姿を見て2006年2007年もっと巧く撮影できておればと思いながらですが、画像を増やしました。2016年撮影画像を加えこの頁を再編集しました。
16.03.28.再編集   05.11.14裕・記編集

04.07.10.撮影
現住所:広島市南区比治山町7−1

05.11.03.撮影

05.11.03.撮影
 (市設置の被爆標識を探し撮影しました)

06.04.06.撮影
2006年4月6日広島地方桜の満開宣言がでた日に訪ねました、元気に咲いていました

07.04.04.撮影
2007年も元気に咲いていました

08.03.03.撮影
開花にはもう少しでした。ひこばえ?の状況を撮影しました

16.03.27.撮影
(2016年は)幹に養生がなされ、枝も少なくなり、桜の花も極端に少なくなっていました

16.03.27.撮影

16.03.27.撮影

16.03.27.撮影
幹の上部にもムロができてきているようでした

16.03.27.撮影
(手入れはされていましたが)痛々しい幹



「被爆した樹木一覧」編



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「頼山陽関連」編


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