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南区比治山町の山陽文徳殿前庭に建立されている「立太子礼奉祝記念・石碑」です。 |
正面: |
立太子禮奉祝記念 |
裏面: |
大正五年十二月埴土 (大正5年=1916年) |
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*山陽文徳殿は、1934(昭和9)年竣工ですので、この石碑は移設か後追いでしょうね。 |
昭和天皇(しょうわてんのう:1901-1989) |
124代天皇(在位 1926-1989)。名は裕仁(ひろひと)。幼名、迪宮(みちのみや)。大正天皇の第一皇子。
1916(大正5)年立太子礼により皇太子となった。1924(大正13)年久邇宮良子女王と結婚。
1921(大正10)年摂政となり、1926(昭和元)年即位。在位64年に及び史上最長。 |
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りったいし
立太子 |
皇太子を定めて、公式にその地位につけること。
皇太子に冊立(さくりつ)すること。立坊(りつぼう)。 |
りったいしれい
立太子礼 |
立太子の儀式。 |
ほうしゅく
奉祝 |
つつしんで祝うこと。奉賀。
例文:「皇太子誕生を奉祝する」 |
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被爆建物・山陽文徳殿や被爆した桜、枯死したクロマツをみていたのですが、2008年雑草の刈り込みがされており、枯死したクロマツをみに近づこうとしたときにこの小さな石碑に目が留まりました。
みると「立太子」の文字がみえましたので後ろに回って石碑裏を見ると大正三年かとおもいましたが、よく見ると大正五年でした、帰宅後調べると大正5(1916)年に立太子礼で(先の昭和天皇が)皇太子になられた年でした。 |
2016年被爆したソメイヨシノを見に来たときこの「立太子礼奉祝記念・石碑」は?と見ました。
再び雑草の中に埋没しようとしていました。 |
16.03.31.再編集 08.03.12裕・記編集 |