|
南区比治山町の山陽文徳殿に枯死しても残されている「比治山のクロマツ」とその説明板です。
2016年現在既に残されていたクロマツの姿はみることができないように朽ちていっています。 |
広島県天然記念物 比治山のクロマツ |
樹高3m、胸高幹囲2.85mの老松で、枝張りは東西15mにも及んでいます。
その長くのばしている枝を猿の手に見たてて、猿猴造りと呼んでいます。この特異な枝張りは、人為的に仕立てたもので、園芸技術を知るうえで資料です。また、市内に残る老樹としても貴重なものです。 |
昭和61(1986)年2月 広島県教育委員会、広島市教育委員会 |
|
|
|
※ |
このクロマツは、1953(昭和28)年広島県の天然記念物に指定されました。しかし、1985(昭和60)年頃から松枯れの危機にあい現在は枯れてしまいました。
1945(昭和20)年8月6日被爆し生き残ったと(当初わたしは)思っていましたが、戦後移植されたのかもしれないと思うようになりました(わたしは調べきっていません*)。
|
* |
1935(昭和10)年頃の山陽文徳殿全景写真を見たのですが、前庭の桜、屋外階段横の桜などは写っていますので、両方とも被爆した桜と云えるのですが、
ここで取り上げたクロマツは(わたしには)その写真からは確認できませんでしたので、被爆したクロマツという表現を改めました。 |
|
2004年はじめてみたときは雑草の中に佇んでいました。
それからも被爆建物・山陽文徳殿や被爆した桜をみに来たときこのクロマツもみていたのですがますます雑草が覆い茂る状況になっていたのですが、
2008年立ち寄ったとき、回りの雑草が刈り込まれ撤去されていましたので、いまは枯れたこの被爆したクロマツがよく見えるようになっていましたが説明版は前のままでした。今(2008年)回山陽文徳殿の頁から分離独立した頁にしました。 |
2016年被爆したソメイヨシノを見に来たときこの枯死したクロマツは?と見ました。
再び雑草の中に埋没していました。近づき見ると西側に伸びていた枝が折れ、本体の幹も倒れ掛かっていましたので、(枯れていたとはいえ)往年の姿を雑草がかられたとしてもみることができないようです。
わたしが編集している被爆樹木リストから、この枯死したクロマツを削除しました。 |
16.03.31.再編集 04.07.18裕・記編集 |