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南区比治山町の山陽文徳殿敷地の端の方に建立されている「鈴木七五郎先生頌德之碑」です。
*1934(昭和9)年10月竣工の山陽文徳殿ですので、
1931(昭和6)年建立のこの石碑はもともとは別の場所に建立されたものでしょう。 |
正面: |
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かぎりなくのこるべきかな 花なって
まことに匂ふ 人のこゝろの ■■
陸軍中將 向西兵庫 書 |
*■■は(読めません)鈴木? |
裏面: |
鈴木七五郎先生頌德之碑
昭和六年二月十一日 建之 |
*昭和6(1931)年の紀元節建立 |
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※ |
碑面に刻まれた文字が正確には(わたしは)読めていません。
全体もですが、最後の「人のこゝろの」の“の”はそうかなと思っただけで”に“かなとも・・・ |
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鈴木七五郎先生については(わたしは)わかっていませんのでご存知の方、ご教授よろしくお願いいたします。 |
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揮毫の向西兵庫中将、(広島にあった)第五師団団長の経歴で揮毫依頼されたのかと思いましたが、第五師団の歴代団長の中にはないようでした。 |
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2008年枯死した比治山のクロマツの回りの雑草が刈り取られていたので撮影していました。今(2016年)回撮影画像を見直すと、この碑の上部が少し写っていました(ので最初に掲載しました)。 |
2016年被爆したソメイヨシノを見に来たとき枯死したクロマツは?と見ました。再び雑草の中に埋没していましたので近づき見ようとした時、この石碑に気が付いたのです。
生え茂ったササなどをかき分け近づき碑面をみました。(
上記の)歌が刻まれていました。裏面をみて、この石碑が「鈴木七五郎先生頌德之碑」であることがわかりましたが、その人物像についてはわからないままでしたが、この頁を編集しました。 |
16.04.01.裕・記編集 |