ちょうしょういん
長性院

  南区比治山町に建てられている「良雲山千日寺(りょううんざん せんにちじ) 長性院」です。
※広島新四国88ヶ所霊場第55番霊場です。
長性院は、浄土宗鎮西派のお寺です。本尊は阿弥陀如来です。
元和3(1617)年に信濃の人 正譽玄斉和尚 によって「栄山庵」を創建されました。
和尚は弘法利生の志篤く諸国巡錫の途上この地に来ると紫雲たなびく中に一道の光明をみ荘厳な鉦鈷の妙音を聞き給いてこの音をたよりに行かれたところこのお地蔵さまが安置されていたので、この地こそ正しく仏有縁の霊地なりと感得し、発願して当山を開かれたそうです。
その後紀伊国の僧・白誉師の時山城国伏見の長性院(寺西将監利之の妻)は銀三十貫目を寄進、堂塔を建立ここにはじめて「良雲山・栄山寺・長性院」と号しました。
正徳4(1714)年千日念佛の徳行を讃え寺号を「千日寺」と改めました。
昭和20(1945)年8月6日原爆により本堂諸堂が壊滅しましたが、昭和32(1957)年本堂再建、つづいて庫裡、鐘楼門が復興し、専念佛場(専修念仏の道場)として今日に至っています。
2004年7月交流ウォークで訪ねたここ長性院でした。8月に仁王さまを拝見しようと訪れ、撮影しましたのでこの頁を編集しました。
2015年久しぶりに仁王さまを拝見しようと訪ね、「浄土開宗八百年記念碑」(昭和51年3月建立)なども撮影しましたので、掲載画像も見直し、この頁を再編集しました。  
15.09.21.再編集     04.07.20裕・編集

04.07.10.撮影
広島市南区比治山町7-40

04.07.10.撮影
「長性院」院号石碑、  鐘楼門 両側に仁王像、  「良雲山」山号額

15.09.05.撮影

04.07.10.撮影
本堂

04.07.10.撮影
虹梁(こうりょう≒虹形に上方にそり返った梁)、         (本堂)「専念佛場」額
光明遍照(室)
(こう みょうへんじょう)
光明遍照
阿弥陀仏の救いの光があまねく全世界 に及んでいる

15.09.05.撮影
山門裏東側

04.07.10.撮影

04.07.10.撮影
般若絵心経(はんにゃえしんぎょう)
文盲が多い時代の絵による般若心経
法然上人(明照大師:1133-1212)
長性院身代わり地蔵尊
     長性院身代わり地蔵尊の由来
当山は元和3(1617)年(福島正則候の時代)に信濃の人正譽玄斉和尚によって創建された。和尚は弘法利生の志篤く諸国巡錫の途上この地に来ると紫雲たなびく中に一道の光明をみ荘厳な鉦鈷の妙音を聞き給いてこの音をたよりに行かれたところこのお地蔵さまが安置されていたので、この地こそ正しく仏有縁の霊地なりと感得し、発願して当山を開かれたのである。
当時開山の仏縁をたまわったこの霊験あらたかなお地蔵様は当時一般庶民の間で信仰する者非常に多くを数え中でも松川町に住む大門という苗字の女人は殊のほか信心堅固でこのお地蔵さまの篤信者として日夜のお参りを欠かしたことがなかった。
その頃この比治山一帯はとても静寂なところであり武士達は試し斬りに最適な場所であった。
そうした或る夜一人の侍は新味の一刀の切れ味を試そうとお地蔵さまのお参りを終えて帰路を急ぐこの女人を山門で待ち伏せをし一太刀のもとに女人の右肩より左胸にかけて袈裟がけに斬りつけたのである。ところがこの侍がその場にみたものは、斬ったはずの女人の体ではなくそこに袈裟がけに斬られたお地蔵さまが真二つに斬られて横たわっておられた。この侍はこの奇瑞を目の当りにして今更ながら、このお地蔵さまがもつ不思議な霊験に驚きめざめて、その場で黒髪を落とし、菩提心をおこして玄斉和尚の弟子となった。
そして後、罪障消滅のために諸国を遍歴遊行して幾年を経て当山第二世善譽上人柞願和尚としてその法燈を受嗣がれたのである。尚試し斬りに用いられたという刀は長性院の宝物として永く伝わっていたが宝暦6(1756)年の大火で惜しくも鳥有に啼して了った。又この地蔵尊は衆生の苦難に身代わりとなって救うというので特に胃腸病に苦しむ者にとっては、一心に祈願をこめお念仏をお唱えすればその病苦よりのがれ治る不思議な御利益もある。 合掌
この身代わり地蔵尊は、お百度参りの対象になるお地蔵様のようで百度石が還流されていました。

04.07.10.撮影
i身代わり 蔵堂」  〔"百度石”"由来板”〕

04.07.10.撮影
 「身代わり地蔵尊 百度石」
(ひゃくどまいり)
百度参り
病気平癒(へいゆ)などの祈願のため、社寺に行き、その境内の一定の距離(多くは百度石と本堂との間)を100回往復し、一回ごとに礼拝すること。おひゃくど。

15.09.05.撮影
「延命地蔵尊」、「身代り地蔵尊」、「水子地蔵尊」
「浄土宗開宗八百年記念碑」など
「浄土宗開宗八百年記念碑」(昭和51年3月建立)
浄土宗の宗祖・法然上人は、1175(承安5)年に浄土宗を開かれました。1975年(昭和50)年)に、浄土宗は開宗800年を迎えました。
法然上人は、「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えることにより、すべての人が平等に阿弥陀さまに救われていく道を説かれました。
浄土宗を開かれた理念について、法然上人は次のように仰っています。
「私が浄土宗を立てた意趣(いしゅ=考え)は、凡夫(ぼんぶ=仏教の道理を理解していない者)が阿弥陀仏の報土(ほうど=西方極楽浄土)に往生できることを示すためである。」

15.09.05.撮影
「浄土開宗八百年記念碑」  「塔婆」  「六地蔵尊」  
長性院仁王像(別頁編集)

04.08.05.撮影

04.08.05.撮影
うんぎょうにおう みっしゃくこんごうりきし
左: 吽形仁王 密迹金剛力士
  あぎょうにおう ならえんこんごうりきし
右: 阿形仁王 那羅延金剛力士



広島の神社仏閣」編
(「広島新四国八十八ヶ所霊場」編)



広島ぶらり散歩へ
長性院
長性院仁王像


inserted by FC2 system