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南区比治山町に鎮座している「比治山神社」です。 |
祭神は、下欄に記述五柱。
もとは‘黄幡(おおばん)大明神’といって比治山南の谷(俗称黄幡谷)に鎮座していましたが、1646(正保3)年三月現在地に移り鎮守社となりました。
藩政時代は稲荷町三組、東郷町、下段原村、竹屋町、南実、平塚、竹屋村などの産土神として祀られました。
1868(明治元)年、神仏分離の際社名を改めて比治山神社と称しました。
1954(昭和29)年拝殿再建立。
1959(昭和34)年神社本庁より別表神社に列せられました。旧村社。 |
1945(昭和20)年8月6日(月)米軍投下の原子爆弾により本殿、拝殿など焼失。 |
爆心地より≒1,780m 被爆当時町名は桐木町だそうです |
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2004年交流ウォーク比治山地区の時に比治山神社を訪ね参拝し撮影しました。
2008年比治山の方から撮影し、電車通りに出て参拝しました。 |
08.10.16更新 04.07.18裕・編集 |
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04.07.10.撮影 |
広島市南区比治山町5-10 |
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祭
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別
表
神
社
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治
山
神
社 |
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由
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04.07.10.撮影 |
(被爆)鳥居 |
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04.08.05.撮影 |
社殿 |
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04.08.05.撮影 |
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08.03.15.撮影 |
比治山の方から本殿、社殿をみました |
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08.03.15.撮影 |
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(うぶすながみ)
産土神: |
生まれた土地を守護する神。近世以降、氏神・鎮守の神と同一視されるようになった。うぶすな。うぶがみ。うぶすなのかみ。 |
別表神社: |
戦後公的社格が廃止されたため神社本庁が特に著名な神社(旧官幣・国幣社および護国神社、また旧府県社などの一部有名な神社)を「別表神社」として位置付け、「役員の進退に関する規程」の中で宮司の任命資格などを特に定め、また権宮司を置ける場合があるなど、社格ではないものの、一般神社とは区別しています。ただしこれは社格序列ではなく、あくまでも神職の人事上に関わる位置づけとされているそうです。
広島市には、比治山神社と広島護国神社が鎮座しています。 |
神社本庁: |
昭和21年2月3日、全国の神社の総意によって設立されました。
日本敗戦を受け進駐してきた連合国軍総司令部が昭和20年12月15日に「神道指令」を発し、神社の国家からの分離を命じた。
そのため、当時民間の神社関係団体であった皇典講究所(こうてんこうきゅうしょ)・大日本神祇会(だいにほんじんぎかい)・神宮奉斎会(じんぐうほうさいかい)の3団体が相寄り、新たにを設けた組織が「神社本庁」。 |
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