(比治山公園)加藤友三郎銅像台座

  南区比治山公園に建立されていた“加藤友三郎銅像”でしたが、先の大戦時金属供出で像を失い、
                                     現在は「加藤友三郎銅像の台座」が残っています。
戦時中に金属回収令で供出された像本体は、1935(昭和10)年に等身約2倍大の銅像で、海軍大将の礼服姿で建立されたと聞きます、1921(大正10)年「ワシントン軍縮会議」で国際協調と軍縮を断行(軍備増強による財政破綻を救い、日本の国際的孤立化を防いだといわれている)したということで、現在再び銅像を建てようという会が出来ています。
資料によると、被爆した石碑ということでこの銅像台座が被爆したものとして記載してあります、
他にも石碑多数とあります。 
爆心地より≒1,980m
加藤元総理の(銅像は戦時中の金属供出でいまはない)台座が比治山公園に残っていることは、大手町第二公園の「加藤元総理生誕の地」碑を訪ねたときに教えていただきました。
しかし比治山公園に(わたし)はたびたびいっていますが場所もわからずなかなか撮影とはいきませんでしたが、2006年に撮影しました。
07.05.05更新   06.08.26裕・記編集

06.08.06.撮影
広島市南区比治山公園

06.08.06.撮影

06.08.06.撮影
1935(昭和10)年建立ですので、1945(昭和20)年8月6日被爆(爆心地より≒1980m

06.08.06.撮影
台座には『元帥海軍大将大勲位子爵加藤友三郎』の文字がはっきりと読めます、また台座の根際に「銅像建設由来碑」(碑文部分がない)も同場所に設置されています。



比治山公園


被爆した建物・構築物」編



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(大手町第二公園)加藤元総理生誕の地碑
(比治山公園)加藤友三郎(銅像)台座
(中央公園)加藤友三郎像


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