はやみせいじ
(比治山公園) 早速整爾銅像台座
  南区比治山公園に建立されていた早速整爾銅像でしたが、金属供出で現在は台座が残されています。
早速 整爾 (1868 -1926)
沼田郡新庄村(現:西区新庄町)出身。明治・大正期の実業家、政治家。初代大蔵政務次官、元農林大臣、大蔵大臣。
1887(明治20)年東京専門学校(現:早大)卒業。1889(明治22)年芸備日日新聞社主。1896(明治29)年県会議員、1902(明治35)年衆議院議員初当選。1925(大正14)年加藤高明憲政会内閣で農林大臣、1926年若槻内閣で大蔵大臣、広島県初の総理の声も有ったそうですが病に倒れ同(1926)年9月死去。
1929(昭和4)年従三位勲一等瑞宝章が贈られ、同(1929)年比治山公園に銅像が建てられましたが、太平洋戦争時の資源回収で銅像は取り除かれました。
加藤元総理の(銅像はない)台座が比治山公園に残っていることは、交流ウォークで大手町第二公園の「加藤元総理生誕の地」碑を訪ねたときに教えていただきましたがこの早速整爾銅像台座の事は知らなかったのですが広島市都心活性化推進課のパンフレットで知ったのですこちらの早速整爾銅像の方が先に建立されていたのでした。
今(2008)年3月立ち寄ってみると説明板が付いていました。
読むと当時の濱口雄幸(1870-1931)総理大臣の賛が書かれた銘板がついていたという、そこまで書くなら、その賛文を紹介するのがもっと親切なのではと思ったのでした。
08.04.22更新    06.08.25裕・記編集

08.03.15撮影
広島市南区比治山公園

06.08.06撮影

06.08.06撮影
銘板も供出したのでしょうが、早速整爾銅像台座とわかっていなければだれの銅像だったかわからないような状態です

06.08.06撮影
2006年8月撮影時は説明板がありませんでした。



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