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南区比治山公園に残されている「早速整爾銅像台座説明板」をこの頁では取り上げました。
※2008年には早速整爾銅像台座説明板が設置されていました。 |
早速整爾台座説明 |
生前の功績と高潔な人格を偲び、昭和4(1929)年当地に銅像が建てられたが、戦時の資源供出で軍に回収され、現在は台石のみが残る。
台石下部には早速整爾の功績と人柄を称えた当時の総理大臣濱口雄幸(1870-1931)筆による銘板があった。 |
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早速整爾(はやみせいじ:1868年10月2日 - 1926年9月13日)
明治元(1868)年沼田郡新庄村(現:西区三篠町)に生まれる。旧姓中山。明治20(1887)年東京専門学校政治経済学科(現:早稲田大学))卒業。明治22(1889)年芸備日日新聞社主の早速家の養子になる。
明治29(1896)年県会議員、明治35(1902)年衆議院議員、明治43(1910)年広島市会議長を経て、大正5(1916)年憲政会の結成に参加。財政通、経済通よして頭角を現す。
大正14(1925)年第2次加藤高明憲政会内閣で農林大臣、昭和元(1926)年第1次若槻内閣で大蔵大臣となる。同(1926)年9月病で急逝。南区比治山町の法正寺に墓がある。 |
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2006年説明板はなかったのですが、2008年訪ねると説明板が設置されていました。
いままで事情が判らない方は(わたしもそうであったのですが)誰の銅像が建立されていたのだろうと思うだけでしたので公園整備としてはいいことだと思いました。
ただ、説明板を読むと濱口雄幸総理大臣の賛が書かれた銘板がついていたという、そこまで書くなら、その賛文を紹介するのがもっと親切なのではと思ったのでした。 |
08.04.22裕・記編集 |