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南区比治山公園の比治山(市民)墓地に建立されている「石井翼山先生之墓」です。 |
正面: |
翼山石井先生之墓 |
裏面: |
先生姓石井氏諱義宣字明郷通稱直澄
以文化九年二月五日生于祇園明治十
六年一月十六日没于廣島享年七十二 |
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石井翼山 (1812年2月5日〜1883年1月16日) |
名は義宣、字は明郷、眞澄と称し、号が翼山、晩年は静盧と云う。
廣島鶴羽神社の神職。垂加學を加藤棕盧(1790-1851)に受け、書は初め菫其昌(とう きしょう:明の文人)を学び、後ち諸家の法帖(≒先人の筆跡または碑文など)を習ひ、一機軸を出し、韻致(≒風雅な趣)ある書でした。京橋町に教場を開き。徒を集めて之を教え、八丁堀以東の少年は多く其門に入りました。
翼山性慈善を好み、善く窮乏を賑わしました。1883(明治16)年(かぞえ)72歳にして病歿、比治山に葬られました。 |
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2015年比治山(市民)墓地の頁を編集しようと立寄った時、墓園の中でみたのがここで取り上げた「石井翼山先生之墓」でした。
東区の鶴羽神社で“石井翼山先生碑”をみていたから撮影したのです。
撮影当時は、石井翼山先生の人物像がわからず、この頁も編集完了には至っていなかったのです。
2022年になって国立国会図書館がデジタルコレクションということで各種の書籍を公開していることを知り、その中に「広島県書画家伝」があり、その中にここで取り上げた石井翼山に関する記述がありましたので、それを参照し人物像がある程度分かりましたので、この頁も編集完了としました。
墓石裏面の千と記述していましたが“于”の間違いと神奈川県のHさんより指摘いただき訂正しました。 |
関連頁:(鶴羽神社建立の)石井翼山先生碑 |
22.05.17.訂正 22.04.13.裕・記編集 |