(広島市現代美術館)北山善夫作品:誰が「ヒロシマ」と名付けたのか

  南区比治山公園の広島市現代美術館に展示されている《誰が「ヒロシマ」と名付けたのか》です。
※この作品の作者は、北山善夫です。
北山善夫 Yoshio Kitayama
《誰が「ヒロシマ」と名付けたのか》
Who Began to Write Hiroshima in Katakana Characters
1995(平成7年)
竹、豚の生皮、銅線
bamboo、ptg skin、copper wire
北山善夫(きたやま・よしお)
(1948-  ) 滋賀県、八日市市生まれ
少年時代に重い病を患った体験は、北山が作家として生きることに強く影響を及ぼしています。中学を卒業した後、染職の職に就きながらYMCAや京都市主催の美術教室に通いました。
1970年代末とり本格的に発表を開始し、1982(昭和57)年のヴェネチア・ビエンナーレ日本代表に選出され、一躍注目を集めました。
その後、竹と和紙を用いた軽やかな立体作品か、ら細密に描かれた絵画、さらには、人の死亡に関連した新聞記事とドローオングを組み合わせたインスタレーション作品へと、その政策は多様な展開を見せています。
2019年陸軍墓地のエントランスが改築されたことを報道で知りましたので、撮影に来たのです。
そのおり、現代美術館のホールで来たのが、この作品でした。
この作品の中に入っている人をみました。
いまどきは作品に手を触れるなという作品が多い中で実におおらかな作者なのだと思ったのです。作者・北山の略歴が壁に貼り出されていました、読むと『少年時代に重い病を患った体験は、北山が作家として生きることに強く影響を及ぼしています。』とありましたので、そのおおらかさは作者の苦労の裏返しなのだろうと勝手に思ったのですが。
 20.02.09.裕・記編集

19.05.23.撮影
広島市南区比治山公園      広島市現代美術館

19.05.23.撮影

19.05.23.撮影
 敬称は略しています



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