旧日本銀行広島支店 (内部)
  中区袋町5-21に残されている「旧日本銀行広島支店の内部」をこの頁で取り上げました。
設置の説明板によると、
『1945(昭和20)年8月6日の原爆投下時、日本銀行広島支店職員18名がこの建物内で被爆し8名が亡くなられました。
火災で全焼した3階では、建物疎開により移転してきていた広島財務局(本館は八丁堀)の職員12名が犠牲となりました。

           
爆心地から380mという至近距離であったこと
(原爆簿炸裂が8時15分ということから)出勤途上で被爆した方も多く、その大半は10代後半から20代前半の女性で、負傷者の看護や再開した銀行での勤務にあたるうち、放射線の影響で亡くなられた方もありました。
   
3階 原爆投下時刻8時15分、財務局職員は既に出勤して3階の窓のシャッターは開けていたので巨大な爆風圧と熱線で3階は全焼、財務局員の人数は不明だそうですが、9名の方々の焼死体が発見されたそうです。
2階・1階 行員12名のうち5名が死亡され、7名が重軽傷を負ったそうです。
1階の労務員室と2階の一部を臨時病室にし、専売局から医師と看護婦3人の応援を得て軽傷の行員・局員が救援活動にあたったそうです。

※原爆被災説明板によると42人の犠牲者が出たとの記述がありますが、死亡時期・出典資料等に差異がありますが。
 
営業業務 8月6日夜半から7日にかけ、軍隊や近郊の警防団の来援で店内をあらかた片付け、態勢をととのえつつ8日に営業を開始したそうです。
市内の銀行は全半壊または内部すべて焼失使用不能であったので、この日銀の窓口を12区分に間仕切りして各銀行が入り支払い業務などを再開したそうです。
(各銀行は応急の店舗をつくり順次出て行ったが、復旧が遅くなった銀行は昭和21年春までここで窓口業務をおこなったそうです)
    関連頁:国税職員原爆慰霊碑
2004年内部を見学したので、撮影しこの頁を編集しました。 
04.08.16裕・編集

04.08.07撮影
まず階段で3階へ・・・折鶴が展示してある 被害の状況(3階)
被爆当時:財務局が使用していた3階会議室(被害の状況写真)

04.08.07撮影

04.08.07撮影
3階〜2階(内部階段壁)に被災時のパネルを展示してある 2階食堂だった処

04.08.07撮影
2階被爆時応接室だったとか 2階 応接室(支店長室)
この建物は1936(昭和11)年、日本銀行広島支店2代目営業所として建てられたもので
柱頭飾りや欄干、シャンデリアなど細部にわたって瀟洒な装飾がなされた美しい建物でした。
この部屋は、応接室(被爆後には支店長室)として使用され、大理石を使った豪華な装飾が施されていました。
被爆前のすがた 1階 営業室

04.08.07撮影
1階銀行業務をやっていた処
(訪れた時は“旧日本銀行広島支店メモリアルフェスティバル
〜平和と文化の4日間〜のイベントステージが設置されていた)

04.08.07撮影

04.08.07撮影
地階の大金庫 (原爆にも耐えたということで・・・) 被爆後の8月8日には業務を再開出来たとか・・・



「被爆建物・被爆構築物など」編



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