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中区袋町の頼山陽史跡資料館玄関ホールに展示してある「山陽記念館(の模型)」です。 |
1935(昭和10)年12月竣工した山陽記念館は、
頼家屋敷跡に遺物資料を展示し頼山陽(1780-1832)の偉業を伝えるために建設されました。
1945(昭和20)年8月6日原爆で焼失しましたが、1949(昭和24)年顕彰会が補修し広島市に寄贈しました。
1994(平成4)年老朽化で解体されました。
1995(平成5)年頼山陽史跡資料館が新たに建設されました。 |
1929(昭和4)年末官民合同で頼山陽先生遺蹟顕彰会が設立されました。
1931(昭和6)年頼山陽没後百年祭典を実施しました。
1934(昭和9)年居室を取得、修築保存を行いました。
(頼山陽が脱藩後幽居され“日本外史”を執筆したという部屋)
1935(昭和10)年最後の事業として寄付を募り「山陽記念館」を建設しました。 |
構造階数
建築面積、延床面積
設計者、施工者
起工、竣工 |
鉄筋コンクリート造、 2階建
310.00㎡、 515.32㎡
佐藤功一博士、 藤田組
1935(昭和10)年2月15日、 同年12月30日 |
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1945(昭和20)年8月6日(爆心地から≒400mの至近距離で)被爆しましたが、西隣の日本銀行広島支店の陰で爆風の直撃は軽減されましたが、屋根スラブは部分的に押しつぶされ、屋根瓦は原状をとどめず、内部は全焼、展示品のほとんども焼失、(頼山陽)居室も焼失しました。 |
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現在の頼山陽史跡資料館を何度か見学していましたが、ここで取り上げた「山陽記念館の模型」が展示してあることを2008年知り見たのですがケースの中ですので巧い具合に撮影できなかったのです。
今(2016年)回頼山陽像が建立されたことを新聞報道で知っていましたので、立ち寄った時、玄関ホールのこの模型、被爆したパネルの展示も撮影しましたので、この頁を編集しました。 |
16.03.13.裕・記編集 |