(頼山陽史跡資料館)聿庵涼み台、井戸側

  中区袋町の頼山陽居室前庭に残され展示されている「頼聿庵涼み台」(の石)です。
※また、(井戸は埋め戻されていますが)残されている「井戸側」もこの頁下段で取り上げました。
残されている平石について史跡資料館案内図に次のような説明があります。
『頼聿庵の涼み台
江戸時代、頼山陽の長男聿庵が、潤筆料として贈られた畳一枚分の平石。
聿庵が涼み台として使用したと伝えられています。』とあります。
※聿庵は春水没後、家督をつぎここ杉ノ木小路の屋敷の主になりました。
(らい いつあん)
頼聿庵:
(1801-1856)
 頼山陽(1780-1832)の長男。安芸広島藩士。名:元協。字(あざな)承緒。通称:余一。別号:鶴年、春嶂。父が脱藩したため祖父頼春水(1746-1816)の跡をつぐ。
藩の学問所につとめ、のち藩主浅野斉粛(なりたか;1817-1868)の長男慶熾(よしてる:1836-1858)の侍講となる。家塾天日堂でもおしえ,山陽の著作の出版につとめる。書にすぐれた。遺作に「聿庵詩稿」など。
山陽死去後、聿庵は度々酒に溺れるようになり、藩儒で親友・坂井虎山(1798-1850)に窘められるなど周囲が心配するほどとなったそうです。
何度も見学しているここ頼山陽居室前庭でしたが、2018年頼山陽史跡資料館の案合図に紹介があるここで取り上げた「聿庵涼み台」と云われる平石に気付いていなかったのです。
たとえ、気が付いても説明がなかったら単なる平石だなと思ったでしょう。
19.08.31.裕・記編集
 聿庵涼み台 と 井戸側

18.05.16.撮影
広島市中区袋町5-14  頼山陽史跡資料館
頼聿庵の涼み台

18.05.16.撮影

18.05.16.撮影

18.05.16.撮影
井戸側
残されている井戸側について史跡資料館案内図に次のような説明があります。
『古井戸の跡(埋まられ井戸側が残されています)。
埋められる以前は、能書で知られる頼家にあやかり、この井戸の水を書き始めに使うと字が上達すると云われていたそうです。』
 * 私見です。
元安川からさほど遠くないこの地ですので、水も豊富な井戸だったろうと想像に難くありませんが。
1945(昭和20)年8月6日原爆の惨禍で廃井戸になったのかなと最初は考えましたが、

(元安川側)隣に1936(昭和11)年9月竣工した日本銀行広島支店があります。
この建物は地階に金庫室を設けていますので、地下掘削工事が始まった時に‘水みち’が断たれ井戸が枯れたのではないかとわたしは推測したので、書初めもそのころに終わりになったのではと考えましたが。

18.05.16.撮影
(地上部の)井戸側をみました

18.05.16.撮影
埋め戻されています(水神様への空気用孔は設置されていないようでした)

18.05.16.撮影



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 聿庵涼み台、井戸側
 三桝正典作:頼山陽居室襖絵
 奈部雅昭作:頼山陽先生像


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