ふくろまちしょうがっこう へいわしりょうかん
袋町小学校平和資料館
 
  中区袋町で、被爆した校舎の一部を利用して開館された「袋町小学校平和資料館」です。
※学校の略沿革は下記で、被爆当時の校舎の画像は平和記念資料館展示のパネルの画像を使用しています。
1911 (明治44)年 袋町尋常小学校となる、1922年に袋町尋常高等小学校と改称
1937 (昭和12)年1月 鉄筋コンクリート造3階建、地下1階、21の教室をもつ校舎竣工
1945 (昭和20)年2月 南北の木造校舎を建物疎開で解体される。
1999 (平成11)年 新校舎完成(旧西校舎…平成11年12月まで使用)
2002 (平成14)年 被爆校舎(旧西校舎)の一部を平和資料館とし、開館
1937(昭和12)年1月袋町尋常小学校としてRC(鉄筋コンクリート)造、地上3階地下1階で建てられました。
2002(平成14)年4月新校舎とこの(旧校舎の一部を残した)袋町小学校平和資料館が完成しました。
休館日: 12月28日〜翌年1月4日、開館時間 9:00〜17:00、無料です。
爆心地より≒460m   (被爆当時町名も袋町)
2012年見学した平和記念資料館展示パネル(写真は下段掲載)に被害の記述がありました。
『1945(昭和20)年8月6日原子爆弾は轟音とともに北校舎の2教室を吹き倒して燃え上がらせ、校庭で作業中の職員4、5名と70名の児童を地面に強くたたきつけたと思われます。
不思議なことに西校舎内部は、小林校長先生らが校庭に出るまでの数分間(と思われる)は、まだ発火していませんでした。おそらく鉄筋コンクリート造であったため、また広島富国館の陰になったからでしょう。しかし、窓枠は吹き飛びあるいはひん曲がり、ガラスはめちゃくちゃでした。』と解説がありました。
写真撮影禁止になっているとのことで、わたしのこの頁は一般的な紹介しかできない写真構成になりました。
多くの方が61年前(2004年時点で)とはいえ悲惨な出来事の一端を知ることができるこの資料館をなぜ撮影したらいけないのかと、伝言を書いた方々のプライバシーの保護の意味があるのだろうか?それもあるでしょうが、それ以上に知ることでこのような悲惨な出来事を2度と繰り返すことがないようにと戦争を考える資料になることのほうが大切なのではとわたしは思っていますのであえてここに記しました。
2007年3月になって、『ヒロシマ 壁に残された伝言』井上恭介氏著(集英社新書刊)を読みました。
いままで何となくみていた袋町国民学校の壁に残された伝言・・平和の中に生きるわたしが如何に幸せものかと思わずにはおられませんでした。
もし、ご存じなかったら、あなたも時間を使って読まれたらと思いましたので追記しました。
2011年、広島平和記念資料館平成23年度企画展「こどもたちの見た戦争」でみていて展示パネルにここで取り上げた袋町小学校(被爆当時・袋町国民学校)の被爆被災したパネルがありました。また、2012年にも見学中に気が付いた画像パネルを撮影していました。2014年のいまになりましたが、その画像を加え頁を更新しました。
14.09.15.更新    04.08.16裕・記編集
関連頁:袋町国民学校・原爆被災説明板   本川小学校平和資料館

04.08.07撮影
広島市中区袋町6-36  現在:袋町小学校平和資料館

04.08.07撮影
壁面に被爆者の消息を知らせる多くの方々の「伝言」が残されていました

04.08.07撮影
被爆により壊れた扉と窓 ここから25m南の位置にあったもので、被爆時の衝撃による傷跡が残っています。
西校舎の解体に伴い、切り取って移設保存しました。
平和資料館として残された部分を示す西校舎地階平面図

06.08.05撮影
爆風により吹き飛ばされたという太鼓
Taiko drum thrown by the blast
  爆風により運動場に吹き飛ばされたといわれている太鼓。
西校舎の廊下に置いていて始業、終業などの時を報せていました。

04.08.07撮影
西校舎の基礎に使われていた松杭
Pine foundation post
  この松杭(まつ くい)は、基礎杭として使用されていたもので、当資料館の地中にも今もそのまま残されています。
※松は水の中では腐れないので昔はよく杭に用いられました。

12.08.04.平和記念資料館展示パネルを撮影
(袋町尋常小学校当時の画像がありましたので袋町小学校蔵という画像を使用しています)

12.08.04.平和記念資料館展示パネルを撮影
(被爆後の写真は以前よりみていましたが、被爆前の校舎。袋町小学校蔵という画像を使用しています)
  広島平和記念資料館平成23年度企画展「こどもたちの見た戦争」でみた展示パネルの一つでした。
       袋町国民学校
爆心地から約460m、爆心地に近い袋町国民学校は、鉄筋コンクリート造の外郭をのこしてすべて燃え尽きました。。
            米国国立公文書館所蔵

11.04.09.平和記念資料館展示パネルを撮影

12.08.04.平和記念資料館展示パネルを撮影

12.08.04.平和記念資料館展示パネルを撮影

12.08.04.平和記念資料館展示パネルを撮影
被爆後≒10ヶ月後に学校は、全児童37名で再開されました。写真は1946(昭和21)年7月末米軍撮影



被爆した建物・構築物」編



広島ぶらり散歩へ
「資料館など」編


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