旧燃料会館・地下室
  この県燃料配給統制組合になっていた建物では被爆当時37名が勤務、8名が負傷しなからも脱出されたがこの地下室に書類を取りにきて被爆された男性以外は数年後には亡くなりました。
被爆時47歳で84歳で他界された野村英三さんの手記・原爆の絵がいろいろなところで紹介されています。
1929(昭和4)年 大正屋呉服店としてRC造3階・地下1階として建てられました。
1944(昭和19)年 県燃料配給統制組合に買収されました。
1982(昭和57)年〜 レストハウスとして使用されています。
2004(平成16)年交流ウォークではじめてレストハウスの地階に入ることができました。59年前に起こった悲惨な出来事を少しでも感じ捉えることができればと思ったのです。
今(2005)年は、被爆60年のその日に当たる8月6日に交流ウォークで立ち入ることができました、語りかけてくることなどない無機物の建物、感性を研ぎ澄まし声なき声を聞かなければと思いながらも、できない自分自身がいました。
05.09.20追記   04.06.16裕・記編集

04.08.07撮影
広島市中区中島町1 (現・広島市平和記念公園レストハウス地下室)

04.08.07撮影

04.08.07撮影

05.08.06撮影
2005年は雑誌記者が交流ウォークに同行していました



被爆した建物・構築物」編



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旧燃料会館地下室
燃料会館・原爆被災説明板
野村英三さん「爆心に生き残る」の原稿


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