(清住寺)被爆した墓石など

  中区本川町の清住寺に残っている「被爆した墓石など」をこの頁で取り上げました。
智水山深廣院清住寺は、浄土宗のお寺です。
開山は心譽貞林(周防国岩国の人で中村氏)で、往古は(毛利氏の旧居城があった)高田郡吉田(現:安芸高田市)に建立されていましたが、天正18(1590)年毛利輝元が広島城を築いた時に広島に移ってきたと妙慶院記録にあります。
1945(昭和20)年8月6日原爆でご住職はじめご家族五人は即死だったそうです。
お寺がある旧左官町地区は多くの方々が亡くなり境内で毎日のように火葬がおこなわれたそうです。
  
爆心地より≒530m   (被爆当時町名は鷹匠町でした)
2004年被爆したグミが残っていると知り訪ねました。墓苑には、被爆した墓石、石仏がありました。お寺の由来などについては資料を参考にして、お寺と被爆した墓石などを一緒の頁で編集していました。
2014年になりましたが、被爆した燈籠、被爆した墓石などを分離独立したこの頁で再編集しました。
14.07.09.分離再編集    04.08.16裕・編集

14.06.12.撮影
広島市中区本川町2-5-13

14.06.12.撮影

04.08.07.撮影

04.08.07.撮影
被爆石灯篭は見てわかるように火袋部分は吹き飛んだそうで新しい石組みとなっています。
                                     横の清住寺石柱は被爆の影響で角が欠けています。

04.08.07.撮影
被爆した墓石と新しく建立の墓石の違いが一目でわかりました。   安政五(1858年)戊午歳建立の(被爆)墓石

04.08.07.撮影
(g被爆した)お地蔵さま、石仏が集められ供養されています



被爆した建物・構築物」編



広島ぶらり散歩へ
清住寺
  被爆した墓石など
  被爆グミ,(枯死した)被爆サクラ
(今も現役)手押しポンプ


inserted by FC2 system