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中区寺町に建てられている「東原山 超専寺」です。 |
超専寺は浄土真宗本願寺派のお寺です。
知新集によると
『開基は福島大和守弟三河守親綱といい安北郡北野庄村に居住していましたが、尼子氏との戦いの時一子討死したことから出家し、時宗安国寺弟子と佐東郡東原村へ一宇を営み小原山東泉坊専福寺超正と読んでいましたが、その後天文年間(1532-1555)に本山證如上人の時浄土真宗に改宗しました。
天正年間(1573-1592)毛利氏より打越村小河内へ寺地を賜ったが出て行かず、後福島正則の時今の寺町に替地をあたえられた時は、小原山を改め旧地の地名をとり東原山と号しましたが、専福寺を超専寺と呼ぶようになったかは詳らかではありません。慶安年間(1648-1652)の旧記にはじめて超専寺の寺名があります。』と記述しています。
所謂、仏護寺(現在の本願寺派広島別院)の十二坊といわれる寺々の中に属しています。 |
資料に、超専寺の墓石・常夜燈が被爆したものとして掲載がありました。 |
爆心地から≒950m 被爆当時町名も寺町でした |
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寺町雲石街道沿いのお寺の中で南側に位置しています。
お寺の前を何度も通っていますし、今(2009)年9月交流ウォークの時にも立ち寄りましたが、雨でしたので後日墓地などを拝見させていただきました。
2021年正面から撮影していましたので、この頁を更新しました。 |
22.09.20.更新 09.12.11裕・編集 |