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中区袋町の旧日本銀行広島支店開催された“どこ×デザ”で展示されようとした光岡幸一作「詩のある風景とこれから」でしたが許可が下りなかったのです。
※2021年2月20日〜3月7日まで展示8作品のうちの1作品でしたが、賞をとった案は案で終わりました。 |
旧日本銀行の建物の外壁に、戦争を経験した表現者によって書かれた詩が書き写される。
当時から残るこの建築を原稿用紙にして、生きた言葉で描かれた詩を書写することにより、歴史の保存と継承が問われるこの場所において、言葉が当事者性を越えて現在の私たちに作用する。 |
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事情によりこのプランは実現できなかったため、(3階に展示されている)実際の展示とは異なります。 |
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入場時頂いたパンフレット画像をスキャンして使用しています→ |
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作者の言葉が印刷されていたB4用紙の詩部分をスキャンし使用しています |
この作品(案)の作者・光岡さんの言葉
『上の詩は1950年代に“ふじたかずよさん”という広島で銀行員をされていた方が創った詩だ。
僕の作品は、戦争当時から残るこの旧日本銀行広島支店の外壁全面にこの詩をテープで書写するというものだあった。
当時の詩が、広島の歴史をみつめてきた建物を通して今の風景に掲げられる。
この何だかふあふあした不思議な詩が今を生きる僕らに届く瞬間を楽しみにしていた。
そしてこの作品が審査員の蔵屋美香さんから賞をいただき、僕は実現のため、高所作業車運転資格を取得し、準備を勧めていたある日、広島市と市の文化振興課からこの作品は許可できないと云われてしまった。
主な理由としては、
外壁は貸出スペースではない事と、何にせよ前例にないことなので出来ないという事らしい。
前例に無いと云われた時、僕は美術家としてむしろ褒められているような気がしてしまいちょっと喜んでしまったのだが。(それに前例にないことこそやるべきなのでは?)
(次に)建物に直接触れない様に、ネットに文字を描き、屋上から垂らすというプランも出してみたが、外壁に文字があると、建物を見に来た人が建物を見られないという理由でこれもダメ。・・・・・』 |
光岡幸一 (Mitsuoka Koichi:1990- ) |
愛知県出身。武蔵野美術大学建築学科。東京芸術大学大学院油画科修了。
2020(令和2)年豊田文化新人賞受賞。「ゲンビどこでも企画×ゲンビ『広島ブランド』デザインスペシャル公募2020」蔵屋美香賞受賞。 |
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3階展示室入口にあったB4の一枚(この作品の嘆きの展示計画変更経過だったのです。上記はその一部ですが、その時は読むこともなく、もらっとくかと、もらって帰宅したのです。
帰宅後、つかれ、花粉症でクシャミと鼻水に悩まされていても、(欠かせられない)晩酌をしながら読んだこの紙切れ、残念であったろうとウルウルしました。
若き美術家よ涙するなかれ!
光岡幸一さんあなたが年を経て巨匠になった折には少なくとも第2案は周りを説き伏せ実現させて広島市民にみせることができると(わたしは)思っています。 |
現代美術館には、2008年10月21日広島上空での「ピカツ」事件で市民に強烈に批判されたというトラウマがあったのではないのでしょうか?
1案は、貼り付けたテープが強風などで剥がれ飛び電車の架線に引っ掛かり電車がストップする事にでもなれば市民の批判にさらされることは必定でしょうから却下は致し方なかったでしょう。
2案、これは実現に一番近かったのではないかとわたしは思ったのです。
上下(心配なら中間でも)をしっかり留めて置けば、まず飛ばされることはないでしょうから。
建物を見に来た人が建物を見られないと云う理由は簡単に反論でき、粘れば実現したのでは?
☆建物を見に来る人よりも作品を見に来る人が圧倒的に多いはずだから。
☆2月20日から3月7日までと短い期間でのことで芸術の為我慢してもらえるのでは。 |
長々とこの若者の作品について編集してきました。それはわたしにもと思ったからで、
わたしだと詩は、栗原貞子さんの「生めしまんかな」を選択、ハードルは高くなるが、電車道反対側歩道端に長机と椅子を準備し、机の上には、何個かのヘッドフォンがありそれには吉永小百合さんが朗読する「生めしまんかな」が流れ、それを聴きながら、外壁の「生めしまんかな」の書写をみるなんてことを、老人の硬直した頭の中で考えたからなのです。 |
21.03.14.裕・記編集 |