くすのき おおがんぎ
楠木の大雁木

  西区楠木町の本川(右岸)にある「楠木の大雁木」です。
楠木の大雁木      国土交通省太田川工事事務所
太田川流域は、山がちで平地が少なく陸上交通の発達しにくい地形であったため、近世を中心に大量輸送機関として、舟運が発達しました。この楠木町を含むデルタ部の河岸は、江戸時代から昭和の初めにかけて太田川の舟運で特に栄えた地域で、オオブネや、肥船、広島湾岸部域から小さな機船も一部入り、他方、筏流しも往来し、当地でも、荷揚げ作業をする人達でにぎわいを見せました。当時の主な荷物は、薪炭、鉄、紙、枕材木(明治以降)等で、荷揚げ場は雁木と呼ばれ、船着き場に階段をつけた桟橋が利用されていました。
雁木は、現在でも太田川のデルタでわずかに見ることができます。なかでも、明治の中頃になって改修された楠木の大雁木はとりわけ大きく、戦前までは横川駅から引込み線も敷かれ、舟運の一中心であった当時を物語っています。

(説明板の写真です)昭和初期
楠木の大雁木は、爆心地から≒1,320m  被爆当時町名も楠木町一丁目
     関連頁:横川橋親柱のモニュメント
(がんぎ)
雁木:
群れて飛ぶ雁の列のようにジグザグの形をしたもの、からいろいろと使われる。
ここでは、道から川原などにおりるための、棒などを埋めて作った階段。また、船着き場の階段。桟橋(さんばし)の階段、の意味で使われています。
(しゅううん)
舟運:
舟によって交通したり物資を輸送したりすること。
(こえぶね)
肥船:
人糞を運ぶ船。 
※わたしがまだ子どもであった戦後間もない頃までは、人糞は肥料として肥え溜めで発酵・完熟させて利用されていました。
この“楠木の大雁木”の横を何回も通り対岸からも眺めることはあっても、詳しくは知らなかったわたしでした。
2004年交流ウォークで訪ねましたので撮影してこの頁を編集しました。
この位置は太田川といっても満干潮の影響を受ける処であるにもかかわらず、戦前までは貨物陸揚の重要拠点であったということと、軍港の役割を持った宇品港の役割を際立たせるようにわたしは思ったのでした。
対岸からこの楠木の大雁木を撮影する機会があったのですが撮影していなかったのです。
2015年広島陸軍病院(原爆死没者)慰霊碑を撮影した時、対岸の大雁木を撮影していないことを思い出し撮影しました。今(2016年)回掲載画像も見直し、この頁を再編集しました。
16.03.20.再編集     04.11.12裕・記編集

04.09.18.撮影
広島市西区楠木町一丁目の本川(旧太田川本流)沿いに位置しています。

04.09.18.撮影
広島市西区楠木町一丁目の本川(旧太田川本流)沿いに位置しています

04.09.18.撮影
休憩の場所もあり、説明板も設置されています

06.09.15.撮影

06.09.15.撮影

15.03.15.撮影
対岸(中区基町)から大雁木をみました

15.03.15.撮影
戦前は、横川駅からここ楠木の大雁木まで引込線がありました
(昭和14(1939)年3月18日陸軍運輸部検閲済の廣島地図の一部を使用)



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