よこがわえびすじんじゃ
横川胡子神社

  西区横川町に鎮座している「横川胡子神社」です。
祭神: 事代主神(えびすさま)
由緒: 不詳なれども、社伝によると安永8(1779)年己亥正月廿日楠木村横川町の住人谷門二が町民の安榮を祈願して御神像を作りこれを祀ったと云う。
以来横川とその近隣の住民に商売繁盛の神として崇敬護持されてきた。昭和20(1945)年8月6日原爆により社殿を焼失しましたが昭和24(1949)年現本殿を再建しました。
神徳: 商売繁盛
原爆で全焼した境内で標柱(しめばしら)が残りました。 
爆心地から≒1.300m  被爆当時も横川町1丁目でした
(ことしろぬしのかみ)
事代主神:
記紀神話で、大己貴神の子とされる託宣の神。
国譲りの時、父神に国土の献上を勧める。のち、皇室の守護神。
(おおあなむちのかみ)
大己貴神〔日本書紀〕

(おおくにぬしのかみ)
大国主神〔古事記〕
出雲神話の主神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子孫。少彦名神(すくなびこなのかみ)らとともに、国土を造って経営し、皇室の祖先に国を譲った。
後世、大黒天と混同され福の神とされる。出雲大社の祭神。八千矛神(やちほこのかみ)。大穴牟遅神(おおあなむちのかみ)。葦原醜男(あしはらのしこお)。
えびす 恵比須、恵比寿、夷、戎、蛭子
〔「えびす(戎・夷)」と同源の語。一般に「恵比須」と書くことが多く、この場合の歴史的仮名遣いは「ゑびす」〕七福神の一。商売繁盛・福の神として広く信仰される。
生業を守護し福利をもたらす神として、わが国の民間信仰のなかで広く受け入れられている神霊。
語源はさだかではないが、夷、つまり異郷人に由来すると考えられ、来訪神、漂着神的性格が濃厚に観念されている。蛭子(ひるこ)とも、事代主神ともいわれる。
古くは豊漁の神として漁民に信仰され、また農神としても信仰された。
2004年交流ウォークの時に立寄り参拝しましたので、この頁を編集しました。
2014年暮れ対岸から横川胡子神社を撮影していました。2017年のいまになりましたがこの頁を更新しました。
2017年参拝した時、今までとは違った構図で撮影していました、2019年の今になりましたがこの頁更新しました。
19.03.28.更新    04.10.10裕・編集

04.09.18.撮影
広島市西区横川町一丁目5 天満川沿いの横川橋東側に位置しています

04.09.18.撮影

04.12.24.撮影
被爆した標柱(裏面)  大正四(1915)年八月  横川青年會建之

04.12.24.撮影

04.12.24.撮影
水盤石  ‘獻奉’(旧字で奉献) 大正四(1915)年の文字が見えます
(すいばん)
水盤:
水を入れる、広く浅い陶磁製の鉢。生け花・盆栽などに用いる。
(ちょうずどころ)
手水所:
神仏を拝む前に手水を使う所。みたらし。

14.12.25.撮影
中区寺町(天満川越に)から西区横川の胡子神社をみました

14.12.25.撮影

17.04.27.撮影
 
17.04.27.撮影
本殿:一間社流造り、銅板噴き 

17.04.27.撮影

17.04.27.撮影

17.04.27.撮影



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被爆した建物・構築物」編


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