よこがわばし
横川橋

  中区寺町1丁目と西区横川町1丁目を結び天満川に架かる「横川橋」です。
横川橋は、1985(昭和60)年11月9日に開通式が挙行されました。
橋長:61.5m、幅員13mの鋼桁橋です。
「かって広島の川を行き来した帆掛け舟の帆を親柱のデザインに入れるなどユニークな造形美をもつ」と広島新史に記載されています。
1986(昭和61)年“手づくり郷土(ふるさと)賞”に選ばれた理由(当時の建設省により)は、
『かつて広島城下から山陰に抜ける雲石街道の要所であった横川橋は、広島市でも最も歴史のある橋のひとつであり、旧橋は被爆に耐えたアーチ橋で地域のシンボルとして親しまれていました。
広島市ではその架け替えにあたり、市民に愛される橋をテーマに「広島市都市美化委員会」でデザインを審議・決定しました。
川の波動と昭和のはじめまで往来した帆かけ舟をモチーフに一体的にデザインされた高欄と親柱は見る角度によってさまざまなかたちに変化します。また、親柱の部分には橋と地域の歴史を表現したブロンズレリーフがはめ込まれ、個性的な橋として市民の注目を集めています。』
親柱のモニュメントに鋳込まれている「被爆した鉄骨アーチの旧横川橋」は、
1923(大正12)年3月1日鉄製桁橋として竣工しました。橋長:63.4m、幅員:7.11mで橋脚がない上部二ホ式鋼アーチ、重力式橋台の橋でした。

             爆心地より≒1,290mに位置していました。
1983(昭和58)年架替えの為に解体されました。
※旧横川橋の竣工年をWikipediaでは1920(大正9)年としており、橋長・橋幅も多少違っています。
2004年撮影してこの頁を編集しました。
2006年中国新聞社発行「広島県大百科事典」の横川橋の項目をみている時に、
横川の地名の由来についてこう記述がありました『北から流れてきた太田川の本流が寺町のところで(本川からわかれて)西に流れて天満川となる、そのことから横川の名がついた。』なるほどそうだったのかと思ったのです。
2014年、2015年に撮影していましたので、この頁を更新しました。また、この頁に加えていた親柱部分に嵌め込まれているモニュメント(ブロンズ製レリーフ)は分離し別頁で編集しました。
17.04.30.更新   04.10.10裕・記編集

04.09.18撮影
広島市中区寺町1丁目と西区横川町1丁目を結ぶ横川橋 (≒東北よりみました)

04.09.18撮影

04.10.21撮影
≒西南方向からみました

04.10.21撮影

04.10.21撮影
橋の手摺にあたる部分のモニュメント
手づくり郷土賞」   建設大臣 江藤隆美 書
ふるさとが誇りとする橋
昭和六十一年七月  寄贈(社)中国建設弘済会

04.11.21,撮影
親柱部分に嵌め込まれたモニュメント(ブロンズのレリーフ)は分離して別頁で編集しました

05.07.10撮影
≒西よりみました

14.12.25,撮影

14.12.25,撮影
≒西南の下からみました

14.12.25,撮影
≒東南からみました

15.03.15,撮影

15.03.15,撮影
中区基町の方(≒西の方)から横川橋をみました。(橋脚の向側は横川新橋のものです)

17.04.27,撮影
北詰(西区横川町1丁目)から横川橋をみました   大屋根は(浄土真宗本願寺派)広島別院です



「橋梁など」編



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