(被爆した)旧横川橋親柱

  西区横川町1丁目の横川橋北詰西側の緑地帯に移され(残されて)いる「旧横川橋の親柱」です。
※この親柱は、1945(昭和20)年8月6日爆心地から≒1,290mで被爆した構築物です。
現在の横川橋モニュメントに残されている被爆した鉄骨アーチの「旧横川橋」は、
1923(大正12)年3月1日
鉄製桁橋として竣工しました。
橋長:63.4m、幅員:7.11mで橋脚がない上部二鉸式鋼アーチ、重力式橋台の橋でした。

             爆心地より≒1,290mに位置していました
1983(昭和58)年架替えの為に解体されました。
※旧横川橋の竣工年をWikipediaでは1920(大正9)年としており、橋長・橋幅も多少違っています。
2004年横川橋の頁を編集し、2017年モニュメントのレリーフを別頁で編集しているときに、ここで取り上げた旧横川橋の親柱が残されていることを知ったのです。そこで撮影してこの頁を編集しました。
この親柱付近には、説明板が設置されていないようでしたので、子どもたちのためにも説明板の設置が必要ではないかと思わずにはおられませんでした。
17.04.11.裕・記編集

17.04.27,撮影
広島市西区横川町町1  横川緑地帯(現・横川橋北詰西側)

17.04.27,撮影

17.04.27,撮影
(旧字体の横ですね)

17.04.27,撮影

17.04.27,撮影

17.04.27,撮影
(現在の横川橋親柱に嵌め込まれたモニュメントの一部)旧横川橋親柱を拡大してみました
(昭和14(1939)年3月18日陸軍運輸部検閲済の廣島地図の一部を使用)



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