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中区寺町に創建されている浄土真宗本願寺派のお寺「本願寺広島別院」です。 |
浄土真宗本願寺派 広島別院の由来 |
本願寺広島別院は、その昔長禄3(1459)年武田山の麓に建立され、龍原山仏護寺と称し当時は天台宗でしたが、同寺第二世円誓は本願寺(第八代)蓮如上人(1415-1499)に帰依し、明応5(1496)年浄土真宗に改宗しました。
第三世超順の頃、 毛利輝元(1553-1625)は仏護寺を護持し、天正18(1590)年に輝元が広島城を築いた時、仏護寺を広島小河内(打越)町へ移転、次いで慶長14(1609)年〔藩主・福島正則(1561-1624)が〕現在の地に移転させ寺町としました。
明治35(1902) 年11月には広島別院仏護寺と称し、更に明治41(1908)年4月に本願寺広島別院と改称して今日に及んでいます。 |
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昭和20(1945)年8月6日(米軍の)原爆投下により焼失しました。
爆心地から≒1,130m
境内では5名の方が即死、10名の方が負傷されたそうです。
本願寺広島別院にはほかに被爆したソテツ(爆心地より≒1150m)等があります。 |
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昭和39(1964)年10月に現在の本堂が完成し、
更に平成6(1994)年には本堂を中心とし大規模な修復工事を完遂し、ひろく安芸門徒の信仰の道場として現在もランドマークになるような偉容を保っています。 |
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2004年交流ウォーク時立ち寄り僧侶の方より別院の概要をお話ししていただきました。
ここ本願寺広島別院の本堂の大屋根がランド―マークになっていると説明していますが、その画像を撮影していませんでしたので2017年になりましたが撮影していました。 |
18.02.09.更新 04.10.09裕・編集 |