報専坊

  中区寺町に建てられている「無障山・報専坊」です。
知新集によると
『報専坊は浄土真宗京西六條本願寺末派興正寺門東坊下佛護寺下いわゆる十二坊の一つのお寺で、往古は安北郡勝木村行森ハズガンゾウの麓住して實相山法泉寺と号し真言宗でしたが、その後圓佐という住侶が文明年間(1469-1487)蓮如上人(室町中期、本願寺第八世1415-1499)の弟子になり浄土真宗に歸入し、數代同所居住のうちに寺號を報専坊と改めました。圓佐より七世の裔學淳の代、佐東郡上安村たいのさこへ移住しました。
いまの寺地に移る年暦は詳らかではありませんが、一説には貞享元(1684)年とも云われています。・・・・』
と記しています。
1994(平成6)年建立の(現在の)新本堂は被爆したイチョウを包み込むようなU字形階段がつけられています。
旧本堂は1787(天明7)年に建立の大伽藍だったそうですが、1945(昭和20)年8月6日(月)原爆により全壊(火災の発生はせず、類焼もまぬがれはしたが)し、住職を含めたご家族4名が亡くなったそうです。
爆心地より≒1130m   (被爆当時町名も寺町)
2004年交流ウォークの時はこのイチョウの銀杏を拾うことに気をとられてしまい禄に撮影しませんのでしたので、後日撮影しました。
2007年お寺を西側(横川線・電車通り)からみてみました。石垣がありましたが、この石垣は被爆当時のものではないかなと思ったのですが。
07.09.29更新   04.10.10裕・記編集

04.10.21.撮影
広島市中区寺町3-3

06.09.15.撮影

06.09.15.撮影

06.09.15.撮影
寺名石碑と門徒会館入口 資料では被爆した構築物は墓石が記載されていますが、現在前庭に置かれている(使用目的がわからない)石材ですが被爆したものではと

04.09.18.撮影
アショカピラー    (階段両横に建立)

07.07.18.撮影
広島市中区寺町3-3



広島の神社仏閣」編



広島ぶらり散歩へ
報専坊
(報専坊)被爆樹木イチョウ
(報専坊)被爆した墓石
(報専坊)深諦院慧雲師之碑
(番外)吉益東洞先生之碑


inserted by FC2 system