アショカピラー

  中区寺町の報専坊や光福寺に建立設置されている「アショカピラー」を取り上げました。
「アショカピラー」、印度に旅行された方はご存知でしょうし、行かなくてもご存知の方も多いのでしょうが、わたしは今(2004年9月)回の交流ウォークのときにはじめて聞いた単語でした。
仏教に帰依したアショカ王がインド各地に建立した(現在も各地に残っている)石柱碑ということだという事でした。
光福寺境内に建つ「アショカピラー」は戦後になってご住職が無縁となった原爆犠牲者を供養するということで建立されたということを教えていただきました。
アショーカ王
(在位 紀元前268−232頃)
紀元前三世紀頃、インドのマガダ国に君臨したマウリヤ王朝第三代の王。(初めて)インドを統一。仏教を保護宣布し、仏典の第三回結集(けつじゆう)を行なったと伝えられる。法(ダルマ)を統治の理想とし、それを各地の磨崖碑や石柱碑に刻んでいる。アシュカ。阿育(あいく)王。生没年未詳。
pillar [pilr] n. 柱(状物)、 記念柱、 柱石、 重鎮
辞書を引いてアショカ王のこと、そしてピラーが何かと英和辞典を引いてみました。
04.10.26追加編集   04.10.10裕・記編集

04.10.21.撮影
広島市中区寺町3-3  報専坊のアショカピラー  (階段両横に建立されている)

04.09.18.撮影

04.10.21.撮影
広島市中区寺町4-33 光福寺のアショカピラー (お寺の東側に建立されている)

04.09.18.撮影

04.09.18.撮影
光福寺境内に建つ「アショカピラー(アショカ王柱頭)」。(東西南北を向く赤茶色の四頭の獅子)   

04.10.21.撮影

04.10.21.撮影
赤茶色のこの画像の色が見た目に一番近い



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