そらさやいなおじんじゃ
空鞘稲生神社

  当社は、宇迦之御魂・宇気母智神・和久産巣日神の三柱を主祭神として奉祀している。
(相殿神)天照大神、天忍穂耳命、邇邇芸能命、彦火火出見命、鵜茅葺不合命。 当社の縁起は甚だ古く、天文年間(1532〜1554)の御創建という。
毛利輝元公が広島城郭を築城する以前より此の地に大小の二社があり、大の社を「空鞘大明神」小の社を「彦山明神(現在の幸神社)」と唱えた。その後興隆の一途をたどり、毛利公の崇敬厚くかなりの社領も有していた。延享(1744〜1747)・明和(1764〜1771)年間の二度にわたる火災にもその都度再興され、天保五(1834)年に社殿を再建、明治5(1872)年村社に列せられる。明治40年神幣帛料供進社に指定せられ、大正8(1919)年社殿を新改築し、神域を拡大、当神社より南舟入までおよび中島・吉島一円の産土神として社領も非常な賑わいをみせ、旧暦九月二十九日の例大祭は盛大を極めた。
 昭和20(1945)年8月6日広島に投下された原子爆弾によりすべて灰爐に帰したが、昭和28(1953)年10月復興され漸次境内地の整備を行なっている。
爆心地より≒630m   被爆当時町名は空鞘町
境内には、被爆した標柱(しめばしら)、狛犬、常夜灯などが今も残っています。
「空鞘」の名は、社頭の松の大木に刀の鞘のみが掛かって居た事によりその社名となったと伝えられています。
由緒の資料は説明板他を参考にしました  07.09.22更新    04.10.09裕・記編集

04.09.18.撮影
 広島市中区本川3-3-2

04.09.18.撮影
空鞘稲生神社被爆した鳥居




























殿








整備






















































































































「被爆鳥居」についての説明板、☆「ヒロシマの被爆建造物は語る」によると爆心地より≒630mとしています。

04.09.18.撮影



「広島の神社仏閣」編



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空鞘稲生神社
被爆した灯籠、狛犬
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