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中区広瀬町の廣瀬神社境内に建立されている「表忠碑」です。 |
この表忠碑の裏面には明治44(1911)年4月3日建之とあります。
日清戦争(明治27・28年)、日露戦争(明治37・38年)の戦死者のための碑として建立された事がわかります。
昭和31(1956)年になって広瀬学区の太平洋戦争戦死者と原爆犠牲者を合祀して再建立された事が碑正面の碑文でわかりました。
この碑は、かって広大な廣瀬神社境内の一角に建立されていましたが、広瀬小学校の整備拡張工事のときに現在地に移設されたそうです。 |
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台座正面 |
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碑題の揮毫者が、佐藤正(1849-1920:当時陸軍少将で、後に第三代広島市長になった)だったのだと、2015年にこの碑をみた時わかりました。
台座裏面に刻まれた文字が薄くなっていますが、日清・日露戦争以後の“大正4年10月以後追記”“昭和4年”という文字も刻まれているようですので、日中戦争から大東亜戦争での戦没者のお名前も刻まれているようです。 |
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2004年、広瀬神社に広瀬学区表忠碑が建立されていることは資料で知っていたのですが、交流ウォークではじめて訪ね、撮影しこの頁を編集しました。 |
2004年以後何度か参拝しましたが撮影することもなかったので、
2015年久しぶりに参拝し、撮影しましたので、この頁を再編集しました。 |
15.06.19.再編集 04.10.09裕・記編集 |