えのまち
榎町 ・惠美須神社
  中区榎町に鎮座している「惠美須神社」です。
祭神:事代主命(ことしろぬしのみこと)
もとは高田郡吉田(現・安芸高田市吉田町)に祀られていましたが、毛利元就(1497-1571)に従い古市に遷座。
さらに毛利輝元(1553-1625) の広島城築城で、現在地に遷座、その際には恵美須社を御堂ごと引張って移したので、西引御堂とも称したそうです。
現在の社殿は1947(昭和22)年再建されたものだそうです。
今(2004年9月)回交流ウォークではじめて訪れたのでした。
恵比寿のえとすが一般的な字とは違っていたのです、
寿となっており拘りがあるのでしょう。
06.02.28更新    04.10.09裕・編集

04.09.18撮影
 広島市中区榎町1-24

04.09.18撮影
通称 『えべっさん』といっているそうです

04.09.18撮影

04.09.18撮影
  吉祥鯛の由来

古来より恵美須の
大神は耳の遠い神様と
知られています。
ご祈願される時は、この
吉祥鯛は左右二つの鯛、
真ん中に●が彫ってあり
ます。●を、きよらかな
お気持ちで叩いて
お願いしましたよ、と
ご祈願してくださ。

         恵美須神社

えびす:

恵比須、恵比寿、夷、戎、蛭子
〔「えびす(戎・夷)」と同源の語。一般に「恵比須」と書くことが多く、この場合の歴史的仮名遣いは「ゑびす」〕
七福神の一。商売繁盛・福の神として広く信仰される。
生業を守護し福利をもたらす神として、わが国の民間信仰のなかで広く受け入れられている神霊。
語源はさだかではないが、夷、つまり異郷人に由来すると考えられ、来訪神、漂着神的性格が濃厚に観念されている。蛭子(ひるこ)とも、事代主神ともいわれる。
古くは豊漁の神として漁民に信仰され、また農神としても信仰された。夷(えびす)三郎。
現在一般にえびすの神体と考えられている狩衣(かりぎぬ)・風折り烏帽子(えぼし)姿で右手に釣り竿、左手に鯛(たい)を抱えた神像によってもうかがえるように、元来は漁民の間で、より広範に信仰されていたものが、しだいに商人や農民の間にも受容されたと考えられています。


※ここ榎町恵美須神社は当て字でしょうが。



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