(三篠町一丁目)往来安全碑
  西区三篠町に建てられている「(三篠町)往来安全碑」です。
※1875(明治8)年11月に建立されました。
資料によると、旧出雲石見街道(通称:雲石街道)沿いに設置されている往来安全の碑が被爆したものとして記載がありました。
爆心地より≒1,830m     被爆当時(旧町名)三篠本町一丁目
2004年交流ウォークの時にはじめてこの筋が雲石街道であったことを教えていただき、この往来安全の碑を知りました。
可部で出雲と浜田(石見)へ分岐するのかと知り少しずつでもわかってくればと思っているのですが。
コロナ禍の中2020年この往来安全・碑の先の光隆寺の被爆クスノキを久しぶりに撮影したのです。その時この碑も撮影していたのです。正面、裏面から周りの状況がわかる画像が無かったのでこの頁を更新しました。
21.07.26.更新   04.10.19裕・記編集
  関連頁:(現在は空鞘稲生神社に移設されている)出雲大社道・道標

04.10.15.撮影
広島市西区三篠町1丁目14番
 旧街道沿い 鎮座の地蔵菩薩 と 設置されている往来安全の碑

04.10.15.撮影
正面:往来安全

04.10.15.撮影
側面:明治八年十一月建之
裏面
往来安全の碑





























里(り)=距離の単位
律令制では5尺を1歩とし300歩(五町)を1里とした(一般には6町1里も行われた)。
近世では36町(3.6〜4.2km)。メートル条約加入後、1891(明治24)年に43.2kmを11里(里は約3.927km)と定めた。

20.09.15.撮影
 旧雲石街道沿い 鎮座の地蔵菩薩 と 設置されている往来安全の碑

20.09.15.撮影

20.09.15.撮影
往來安全 石工 力■(わたしが読めません)

20.09.15.撮影

20.09.15.撮影

20.09.15.撮影
(裏側からみた)  往来安全の碑  地蔵菩薩堂  町内掲示板



被爆した建物・構築物」編


「道標など」編



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(三篠町一丁目)地蔵菩薩
(三篠町一丁目)往来安全碑


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