被爆した倉庫、煙突:歴清社(被爆時:久永金紙押紙工場)

  西区三篠町の歴清社に残されている「被爆した倉庫、煙突」です。
被爆建物  A-bombed Building
被爆時の名称:久永金紙押紙工場
爆心地から2,200m
敷地内の煙突(≒20m)や倉庫の一部は、1945(昭和20)年8月6日の原爆にも耐え、その姿を今日に残しています
広島市
久永金紙押紙工場  
工場は、1943(昭和18)年戦時統制により金紙製造中止になり、陸軍被服廠の包装紙製造に変わっていて、1945(昭和20)年8月6日原爆により工場は全壊全焼し出勤していた約50名の職員多数が負傷されたそうです。
歴清社の資料をみると
倉庫は、1935(昭和10)年工場増築完成とあります、その時施工されたのではと思いました。
煙突は、1944(昭和19)年煙突(≒20m)などの設備完成とあります。
爆心地≒2,200m (被爆当時三篠本町2丁目)
1954(昭和29)年(株)歴清社設立。1993(平成5)年3月末新社屋完成。
2006年(2004年にはなかった広島市設置の)被爆建物のプレートが取付けられていました。
読むと煙突や倉庫の一部が残っていると記述してありましたが、煙突、RC造の倉庫もどうやら外部からは見えないようで一部が現在も利用されているということのようでした。
見学出来ればと思ったのですが、操業中の工場内ですから無理だろうな〜と思ったのです。
2015年久しぶりに訪ねた歴清社でした。
外回りを撮影した後、社員の方に被爆煙突、倉庫の見学ができないかお願いしてみようと思ったのです。
若い社員の方なら話しやすいと思ったのですが、居られた方は社長か会長と思われる年齢の紳士でしたので、おそるおそる、10年来の思いである、被爆倉庫、煙突の見学をお願いし、HPで公開したい旨を話しました。
仕事の手を止めることにもなるのに快諾していただき、いまも使用されている被爆した倉庫、操業中の根際に位置する被爆した煙突(工場内の部分)を案内していただき撮影できましたので、この頁を編集できました。
昔々になりましたが、55mの煙突がある清掃工場の現場責任者になった事があるのです。
煙突は煙突専門業者に工事を依頼しましたが、ここ歴清社の被爆した煙突をみた時、本ざね型枠の煙突をみて昔の煙突工事のことを思い出したわたしでした。

関連頁:安達地方衛生処理組合清掃センター建設工事
 15.08.13.裕・記編集

06.10.21.撮影
   広島市西区三篠町3-20-4  歴清社  

06.10.21.撮影
工場は戦後整備され、外からは被爆したRC造倉庫、RC造煙突はみることができないようでした
被爆した鉄筋コンクリート造倉庫

15.07.29.撮影
(鉄扉は戦後のものだそうです)

15.07.29.撮影
(倉庫出入口開口部)

15.07.29.撮影
(倉庫内部の)スラブ、梁部分をみました

15.07.29.撮影
被爆した鉄筋コンクリート造煙突

15.07.29.撮影

15.07.29.撮影

15.07.29.撮影
本実(ほんざね)型枠で造られたコンクリート煙突



「被爆した建物・構築物」編



広島ぶらり散歩へ
(歴清社)平和祈念の土台石
(歴清社)被爆した倉庫、煙突


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