しうんざん  せいがんじ
紫雲山 誓願寺
(概説)
  西区三滝本町に建てられている「紫雲山光照院(しうんざん こうしょういん)誓願寺」です。
※広島新四国88ヶ所霊場第14番霊場です。
誓願寺は、紫雲山光照院と号し、本尊は阿弥陀如来で浄土宗西山派に属しています。
天正18(1590)年10月15日、策伝上人※の意向を受けた毛利輝元が材木町(今の平和記念公園の平和記念資料館・西館附近)の地に開基しました。
開山の恵空上人は京都本山誓願寺より天智天皇御宸筆を賜り寺号を誓願寺とし、毛利家の菩提寺と成りました。境内は約3,200余坪あり、本堂、釈迦堂、阿弥陀堂、鎮守堂、開山堂、厳島大明神、位牌堂、経蔵、鐘楼、茶室、大門(H=13m、W=9m)を有し、国泰寺、本願寺別院と共に広島の三大伽藍に数えられていました。
(当時のお寺は)昭和20(1945)年8月6日原爆で灰儘に帰しました。
(爆心地より≒400m)
昭和38(1963)年5月3日現在地に本堂、書院、客殿、茶室、庫裡、山門が再建され、本(2004)年脇侍の観世音菩薩(左)と勢至菩薩(右)が再興されました。
2004年交流ウォークで訪ねた誓願寺でした。その時本尊は疎開させていたから原爆の惨禍から免れたが脇侍を失っていたとご住職より伺い、今(2004)年に再興されたばかりですよと伺ったのです。
2015年久しぶり山門を撮影しましたので、この頁を更新しました。
15.07.27更新   04.11.28裕・編集

04.11.20.撮影
広島市西区三滝本町1丁目17-1

04.11.20.撮影
山門をみる

04.11.20.撮影
本堂 開基 毛利輝元公 創建四百年記念 弘空代

04.11.20.撮影

04.11.20.撮影
ご住職にお寺の縁起などを説明していただきました
本尊(室町初期作、高さ三尺、寄木造)は疎開していて被爆しなかったそうです
被爆した吊灯籠
(戦前、お寺で使用されていたものです)

04.11.20.撮影

04.11.20.撮影
法然上人像(後堂左) 善導大師像(後堂右)

04.11.20.撮影

04.11.20.撮影
水盤石(移設され現在も使用されています) イチョウの垂乳
多数のコブが乳房のように垂れ下がっています。

06.11.18.撮影
広島新四国88ヶ所霊場第14番霊場

15.07.12.撮影

15.07.12.撮影
安楽庵策伝(あんらくあん さくでん) 1554-1642
安土桃山時代から江戸時代前期の浄土宗僧侶。落語の祖。策伝は道号。諱:日快、号:醒翁、俗名:平林平太夫。
美濃・金森長近(飛騨高山城主)の弟で、7歳で得度、京都(禅林寺)永観堂で修行、天正年間(1573-1592)中国地方で備前国大雲寺など七ヶ寺を創建したと伝えられています。1596(慶長元)年美濃浄音寺に戻り25世住持。1613(慶長18)年京都誓願寺55世(浄土宗西山深草派法主)。1623(元和9)年紫衣の勅許を得、塔頭竹林院に隠居、茶室安楽庵で余生を送る。
笑い話が得意で説教にも笑いを取り入れていたので、京都所司代板倉重宗の依頼で「醒睡笑(せいすいしょう)」八巻を著し、笑話集のさきがけとなる。
茶道は古田織部門下で、安楽庵八窓亭と呼ばれる茶室などが伝えられ、ここ(広島の)誓願寺に復元されています。
また、開祖の縁から毎年4月第4日曜日に策伝会(落語会)が催されていると、住職にお聞きしました。
04.11.28裕・記



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(「広島新四国八十八ヶ所霊場」編)



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誓願寺(概説)
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 (誓願寺)イチョウの垂乳
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