(誓願寺の)被爆した水盤石、吊灯篭

  西区三滝本町の誓願寺で現在も使用されている「被爆した水盤石」、安置されている「吊燈篭」を取り上げました。
誓願寺は、戦前材木町(現在の平和記念公園:平和記念資料館・本館附近)の地に位置していました。
昭和20(1945)年8月6日原爆で建物は灰儘の帰したそうです。
(爆心地より≒400m)。
しかし、ここに取り上げた水盤石と吊灯篭は、原爆の惨禍からも残り、昭和38(1963)年5月3日現在地(西区・三滝本町1)に本堂再建された時に移され残されたそうです。
2004年わたしは水盤石を写せばいいと思っただけでよく見ていませんでした。天明三癸卯(1783)年二月と刻まれていました。200年以上も前のものだったのです。
09.05.29撮影   07.05.27裕・編集

06.11.18.撮影
広島市西区三滝本町1丁目17-1 誓願寺

04.11.20.撮影

09.04.26.撮影
水盤石(移設され現在も使用されています) 被爆の傷跡(角が欠けた)があります。天明三癸卯年二月
(被爆した)吊燈籠

04.11.20.撮影
いまは本堂に被爆した吊灯篭として展示されています

06.11.18.撮影
今(2006)年は近づいて拝見させていただきました。



被爆した建物・構築物」編


「石燈籠など」編



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