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西区三滝本町にある「日渉園」です。
※後藤家から2000年広島大学に寄贈され広島大学が(薬草園)史跡として整備していくそうです。
*(「日渉園」と題して編集していますが)広島市設置の説明板には「日渉園跡」と標記しています。 |
広島市指定史跡日渉園跡 指定:平成6(1994)年3月25日 所在地:広島市西区三滝本町二丁目517,530-1,2番地 |
日渉園跡は、寛政・享和年間(1800年前後)頃、広島藩の藩医である後藤松眠(しょうみん)(1755-1828)が開園した藩営の薬草園跡です。
日渉園の中心には住居と庭園、その周囲には約8,800uの薬草地がありましたが、現在は庭園の一部が残っているだけです。この庭園は上下二段からなり、上段には涸(か)れた池とそこに架かる太鼓橋、「神農堂」とよばれる建物の礎石と台座などが残っており、下段には薬草の研究や薬の調合を行っていた「薬室」の礎石の一部のほか、涸れた池や眼鏡橋などがあります。また、庭園内に植えられた樹木は、狭いながらも独立した森として周囲の畑地や住宅と一線を画しています。 |
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そのうえ、松眠の子、松軒(1803-1864)と交流(長崎で共にシーボルトから蘭学を教わった)があった蘭学者・高野長英(1804-1850)が、幕政批判により「蛮社(ばんしゃ)の獄」で投獄された後、脱獄して4年間の逃亡生活を送っていた際に、本園内の「神農堂」に(数日間)隠れ住んだこともあります。
広島藩唯一の藩営の薬草園跡という稀少性と近世史に残る高野長英ゆかりの地としての歴史性をあわせもつ大変貴重な文化財です。 平成8(1996)年1月10日 広島市教育委員会 |
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日渉園跡は、元浅野藩の藩医であった後藤家の御厚意により平成12(2000)年12月に広島大学に移管されました。
広島大学はこの貴重な史跡を受けて、昔の記録を基に薬草園として復元することにしました。(中略)
来訪者の方には、史蹟内の施設ならびに植物を大事にし、苑路から自由に観察してくださいますようお願いします。 |
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2004年交流ウォークの時にはじめて訪ねました。
2006年広島大学医学部医学資料館でみた「星野木骨(=身幹儀)」(展示のものはレプリカでしたが)が、戦時中この日渉園に疎開された事を知りました。
2009年は交流ウォークの下見、本番の時、以前はなかった「関守石」がありました。また、以前も見ていましたが撮影していなかった「太鼓橋」も撮影しましたので、別頁で編集することにしました。
そして本来、薬草園であったので薬草にも目を向けてみました。わずか3種ですが、(広大薬学部)神田先生著「広島県の薬草」を参照してこの頁に追記しました。 |
10.11.29更新 10.11.16再編集 04.12.04裕・記編集 |