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西区三滝山の三滝寺にあ建てられている「(三滝寺)多宝塔」です。
※この多宝塔は、“原爆精霊供養記念・多宝塔”でもあるのです。 |
多宝塔建立趣意文 |
観音を信じ礼拝供養怠ることがなかった岩田タヅ(母)が原爆の悲惨無道義を痛憤慟哭し宝塔の建立を発意し、戦地より帰国した岩田幸男(兄弟)の佛心に薫移し浄財を喜捨し聖業遂行に当った。
依って昭和26年(1951年:終戦7周年)5月吉日落慶法会を厳修した。
昭和33(1958)年5月吉日落成7周年大法要に当り建之。 |
(※全文読み下せなくてわたしが理解した大要です) |
敬称は略しました。 |
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広島県重要文化財 三瀧寺多宝塔 指定昭和43(1968)年1月12日
所在地:広島市西区三滝山411 概要:三間四面、二層、本瓦葺、丹塗 |
多宝塔は、円筒形の塔身に方形の屋根をかけた宝塔に裳階(もこし=屋根と同じ構造の一層の張り出し部分)をつけて重層にした仏塔の一形式です。平面の形が、下層は方形、上層は円形となり、上層下部の饅頭の形をした白い亀腹(かめばら)が基本的な特徴です。※和様唐様折衷、室町期の建築様式の特徴を示している。
大永6(1526)年の創建というこの塔は、和歌山県の広(ひろ)八幡神社の境内に建立されていたものを、原爆犠牲者供養のため昭和26(1951)年(5月)に広島に移築したものです。
なお、塔内には国指定重要文化財の木造阿弥陀如来坐像(仁平四=1154年十一月墨書、藤原期、寄木造)が安置されている。 |
平成6(1994)年9月30日 広島県教育委員会、広島市教育委員会 |
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2004年原爆関連慰霊碑として訪ね、この頁を編集していました。
今(2007年)回広島県の重要文化財ですので少しばかり建物に目を留め、それぞれの面の蛙股を見てみましたが、梵語が読めればと思いましたが当然ですが読めませんでした。
梁上の飾りも見ました鼓、琴が描かれていましたがその意味するとことは今のわたしにはわかりません。 |
2015年久しぶりに三滝地区に建立の碑などを撮影しました。
この三滝寺多宝塔も撮影しましたので、掲載画像を見直し追加し、この頁を再編集しました。 |
15.08.09.再編集 04.11.29裕・編集 |