(三瀧寺に建立の)比治山市営墓地土砂災害供養碑

  西区三瀧山の三滝寺に建立されている「比治山市営墓地土砂災害供養碑」です。
建立趣意   昭和57(1982)年9月秋彼岸の中日
昭和57年7月16日中国地方を来襲した大型台風の天災と広島市比治山市営墓苑の管理不充分な人災により墓石や土砂が一挙に崩壊して日野家が破壊され愛児二人が一瞬に死亡した事は誠に痛恨のきわみです。
この二児の冥福と二度とかかる悲惨な公害事故が発生せぬよう又多くの子供たちが健やかに生育しますよう祈念してこの石仏を建立しました。合掌
明元晴澄童子・日野元晴 行年九歳、正薫妙照童子・日野正彦 行年八歳  昭和57(1982)年7月16日歿
比治山(市民)墓地に建立されているという女学院校母(ナニ・B)ゲーンス先生のお墓を訪ねた時に、そういえば三滝寺参道根際に建立され撮影していたこの石仏を思い出したのです。
市営墓苑の土砂崩れで二人の子供が犠牲になっていることを、1982(昭和57)年と云えば、わたしが故郷・広島に帰ってきた年で、すでに広島に住んでいたというのにこの事故のことは記憶になかったのです。
この供養碑の頁を編集しなくてはと思っていたのです。
気象庁の資料をみると
昭和57(1982)年7月10日から20日にかけては、ほぼ毎日西日本の所々で日降水量が100mmを超える大雨となった。
7月16日は広島で223.0mm、7月20日は長崎で243.0mmの日降水量を観測し、九州の山間部では、10日から20日にかけての降水量が1,000mmを超えた所もあった。
7月23日から25日にかけては低気圧が相次いで西日本を通過し、梅雨前線の活動が活発となった。 特に長崎県では23日夜に1時間に100mmを超える猛烈な雨が続いた。
長崎では3時間に313.0mm、日降水量448.0mmの豪雨となり、長崎市内を中心に土石流やがけ崩れにより、300名の死者が出るなど大きな災害が発生した。・・・
』とあります。
台風9号、6月21日発生し台湾を縦断、7月2日中国大陸で消滅
台風10号、6月22日発生7月1日愛知県渥美半島に上陸、7月3日日本海上で消滅
台風11号、7月4日発生東シナ海中国大陸よりに北上7月15日北朝鮮で消滅
碑文にある大型台風はどういう台風?と思い気象庁の資料を調べました(上記)。
昭和57年は冷夏傾向で全国的に梅雨明けが遅れ大雨が続いていたそうです。7月16日広島では223mmもの大雨になっていました。

2015年被爆70年三滝地区の原爆関連の慰霊碑を訪ねた時、この碑も撮影しました。
2008年撮影当時と2015年撮影時には、碑の斜め後ろに2009年龍神道が建っていますので周りの風景が変わっていました。2018年のいまになりましたが、7月6日西日本豪雨での土砂災害で多くの犠牲者をだしたことで、この頁を更新しました。
18.11.19.更新   09.02.20裕・記編集

08.01.16.撮影
広島市西区三瀧山411 三滝寺

08.01.16.撮影

15.07.15.撮影

15.07.15.撮影
(後側に龍神堂が建立されています)



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