えしんいんこうとうざん   さいふくじ
恵心院香嶋山 西福寺

  南区仁保に建てられている「恵心院香嶋山・西福寺」です。
※西福寺・本堂・庫裏・山門は、1945(昭和20)年8月6日爆心地から4,620mで被爆した建物です。
恵心院香嶋山と号し本尊は阿彌陀仏立像、文亀(1501)元年真言宗として本浦に創立されたのが開基といわれ、慶長二(1597)年北公路中納言輔道(すけみち)卿の二男権丸(ごんまる)、出家して法名玄清(げんせい)と名乗り諸国巡歴の途次廃寺となっていた同寺を再建され、その後現在の渕崎(ふちざき)に移り、浄土真宗となりました。
現在の本堂は、享和三(1803)年9月に再建されたと伝えられ、真宗開基玄清以後その子孫が住職を継承しています。本堂裏には徃古躑躅(さつき)を以て 其の名高かった明治天皇にゆかりのある(黄金山を借景した)庭園があります。
仁保郷土史会・仁保公民館
※昭和4(1929)年3月発行「仁保村志」に文亀元(1501)年創立時は龍清院香島山西福寺と称せりとあります。
*お寺には、伊能忠敬が測量をするのに滞在した記録が残されているそうです。
   関連頁:(東京・富岡八幡宮の参道に建立)伊能忠敬像
広島市の被爆建物リストによると本堂・庫裏・山門・鐘楼が被爆した建物だそうです。ここ仁保地区は原爆による焼失は免れましたが、爆風により、建具や天井などは吹き飛ばされ、内陣の仏壇・仏具の多くが破損したそうで。
爆心地から≒4,620m   被爆当時町名も仁保町
1995(平成7)年本堂屋根を葺きかえ、2005(平成17)年本堂廊下の張替など(費用の一部は広島市被爆建物等保存・継承助成も受けて)被爆建物保存事業を実施したそうです。
2004年改修工事をしているからと交流ウォークでの拝観は事前に断られたそうで外からの撮影だけでした。
2007年12月交流ウォーク探検隊で訪れた時は、ご住職の奥さまに、庭園を案内していただき、また赤穂浪士の一人であった武林唯七の祖父治庵のお墓が建立されていることも教えていただきました。
08.04.04更新     04.12.29裕編集

07.12.01.撮影
広島市南区仁保2-12-20

04.12.11.撮影

07.12.01.撮影

07.12.01.撮影
(被爆した)山門をみました (被爆した)鐘楼をみました

04.12.11.撮影
2004年、本堂は改修中でした

07.12.01.撮影
墓苑のほうから本堂をみました



「広島の神社仏閣」編・全体


被爆した建物・構築物」編



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西福寺
(西福寺の)庭園
(墓苑の)武林唯七祖父治庵之墓


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