じゅっけんや いなり じんじゃ
十軒屋稲生神社

  祭神:宇気母智神(うけもちのかみ)
寛文2(1662)年仁保島と比治山が干拓により陸続きとなる。その後、元禄5(1692)年広島藩四代藩主浅野網長候が比治山のお茶屋谷の茶亭を新築され、茶亭から前方に見える山麓附近の眺望を良くするため、蒲刈島から農家十軒をこの地に移される。これより当地を十軒屋と呼ぶようになる。その後、元禄12(1699)年頃附近一帯の新開地には田畑が広がる。村民は農作物と豊漁を祈ると共に家内の繁栄を願うため宝暦元(1751)年京都の伏見稲荷大社から熊鷹稲荷大明神を勧請されたのである。
現在の稲生神社本殿は明治18(1885)年2月27日に再建され、昭和11(1936)年2月社殿の改築、戦後昭和22(1947)年9月に(昭和20年8月6日の)原子爆弾の爆風により破損した箇所の補修が行われ、昭和62(1987)年3月神社の拝殿が建替えられる。当稲生神社は五穀豊穣を守護する農業神、商売繁盛、家内安全、子孫繁栄、学業成就の神として信仰されている。
十軒屋稲生神社由緒書
仁保地区を交流ウォーク探検隊で遊歩するので、資料をみて、被爆した建物を調べていたときに、2004(平成16)年立ち寄り編集していたこの十軒屋稲荷神社がそうだったのかと、説明板にもそう記述があったではないかと自分の迂闊さにあきれているところです。
HPを引越している今回(2011年)、社殿(拝殿)を中心に編集していましたので、被爆した建物で今日まで残っている本殿、渡殿の画像を追加したり画像を差替えたりし、被爆建物に関しては分離独立の頁にし、再編集しました。
11.12.02再編集   08.09.05追記    04.12.30裕・編集

04.12.11.撮影
広島市南区西霞町24-21

07.12.26.撮影

04.12.11.撮影
1987(昭和62)年建替えられた拝殿(に、建具は嵌めてありませんでした)

11.01.15.撮影
拝殿に2007年には建具が嵌めてありましたが2011年再度撮影しました

10.11.06.撮影

10.11.06.撮影
被爆した本殿と渡殿



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十軒屋稲生神社
(被爆した)本殿・渡殿


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