(十軒屋稲生神社)被爆した本殿・渡殿

  南区西霞町に鎮座している十軒屋稲生神社の本殿と渡殿をこの頁で取り上げました。。
※稲生神社本殿・渡殿は、1945(昭和20)年8月6日爆心地から3,340mで被爆した建物です。
祭神:宇気母智神(うけもちのかみ)
宝暦元(1751)年創建。鎮座地の十軒屋は大河浦の北端にして比治山山麓六軒屋と相対し、早くより交通の要地として開けた。村民家門の繁栄を祈るため稲生社を建て、十軒屋講その他を提供し、尊信し奉る。
資料を見ていたら被爆建物として紹介がありました。
本殿1885(明治18)年竣工、構造木造 (説明板でも竣工時期がわかりました)
被爆建物表示板には
階段上の社殿のうち本殿と渡殿は昭和20(1945)年8月6日の原爆にも耐え、その姿を今日に遺しています。』と記述しています。
爆心地から3,340m    (被爆当時町名:仁保町)
仁保地区を交流ウォーク探検隊で遊歩するので、資料をみて、被爆した建物を調べていたときに、2004(平成16)年立ち寄り編集していたこの十軒屋稲荷神社がそうだったのかと、説明板にもそう記述があったではないかと自分の迂闊さにあきれているところです。
2008年訪ねたときに、広島市が設置しているという被爆建物というプレートに気が付き撮影しました。
HPを引越している今回(2011年)被爆した本殿、渡殿を中心にしたこの頁を分離し、独立した頁にしました。
11.12.02裕・記編集

11.01.15.撮影
広島市南区西霞町24-21

07.12.26.撮影
本殿、渡殿、(再建された拝殿)

10.11.06.撮影

10.11.06.撮影
被爆した本殿と渡殿

07.12.26.撮影

07.12.26.撮影
本殿を裏からみました

07.12.26.撮影
境内から爆心地方向をみました



被爆した建物・構築物」編



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十軒屋稲生神社
(被爆した)本殿・渡殿


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