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南区北大河町に鎮座している「真幡神社」です。
※真幡神社社殿は、1945(昭和20)年8月6日爆心地より≒3,440mで被爆した建物です。 |
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祭神:泉津道守神(よもつちもりのかみ)
相殿:塞座三柱神(さやりますみはしらのかみ)、金山毘古神(かなやまびこのかみ) |
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当浦は、荒天の際は海陸とも往来極めて困難であって、災難を受けることが度々でありました。そこで神助を仰がんと元和3(1617)年(地域の住民達によって)社殿を建て黄幡社を勧請しました。 |
人類史上最初の原子爆弾が昭和20(1945)年8月6日(月)午前8時15分広島市中心部の上空約580mで炸裂し、一瞬のうちに街は焦土と化しました。
地元では黄幡社として親しまれている真幡神社も、昭和初期に建替えられた神殿と拝殿の屋根が吹き上がり、柱も折れるなどの大きな被害を受けました。戦後応急修理がなされましたが、拝殿の柱や床板の腐朽が進み、土壁も崩れ落ちる等危険な状態になりました。 |
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このため平成12(2000)年地域の方々の善意と広島市被爆建物等保存・継承事業の助成により、保存工事が実施され被爆の惨禍を後世に伝えています。 |
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資料によると、1930(昭和5)年ころ竣工、社殿木造平屋 |
爆心地より≒3,440m 被爆時町名は仁保町 |
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2004年交流ウォークではじめて訪ねた真幡神社と地蔵寺でした。
被爆建物だった事を知り、広島市保存樹指定第1号のクスノキが社殿を守るようにそびえていました。 |
頁を編集して10年ほど経ちましたので、2011年撮影していた画像を加え、この頁に一緒に編集していた広島市保存樹クスノキを分離し(独立した頁に編集し)、この頁を再編集しました。 |
14.08.17.追記再編集 04.12.31裕・記編集 |